エミリオ・アルサモラ エミリオ・アルサモラの概要

エミリオ・アルサモラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 03:59 UTC 版)

エミリオ・アルサモラ
国籍 スペイン
生年月日 (1973-05-22) 1973年5月22日(49歳)
リェイダ
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1994年 - 2003年
初レース1994年 125cc マレーシアGP
最終レース2003年 125cc バレンシアGP
初勝利1995年 125cc アルゼンチンGP
最終勝利2000年 125cc ポルトガルGP
チームホンダ
チャンピオン125cc - 1999年
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
144 4 30 1 5 1040

経歴

キャリア初期

24時間耐久レースへの出場経験を持つ父の影響を受けたアルサモラは、初めてのバイクとしてイタルジェットの50ccマシンに乗る。14歳の時にはホンダ・MBXでレースデビューを果たす。

1989年と1990年、スペイン国内の育成カテゴリである80ccレースでアルサモラは2年連続チャンピオンとなる。その後はスペイン国内選手権のオープン・ドゥカドス125ccクラスにステップアップし、1992年にはホルヘ・マルチネス率いるアスパー・チームに所属していたこともある。

世界選手権デビュー

1994年、スペイン国内選手権への参戦を継続しつつ、ロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たす。翌1995年チーム・スコットに移籍すると、アルゼンチンで初優勝を果たし、シリーズ3位に入る活躍を見せる。またこの年にはスペイン国内選手権のチャンピオンも獲得した。1996年にはワールドチャンピオン獲得を目指すものの、シリーズ4位に終わる。

250ccクラスへ

1997年は250ccクラスにステップアップし、ホンダ・NSR250を駆ることになった。しかし第2戦鈴鹿での転倒により左手の舟状骨を骨折。回復に時間がかかり、また大排気量マシンへの順応にも手間取ったため、31ポイントの獲得、シリーズ18位に終わる。

再び125ccクラスへ

1998年には125ccクラスに戻り、アンヘル・ニエトのチームでアプリリアを駆ることになったが、僅か18ポイントの獲得、シリーズ21位と、これまでで最悪のシーズンとなってしまった。

ワールドチャンピオン獲得

アルサモラのヘルメット。パーソナルスポンサーのチュッパチャプスのロゴが大きくデザインされている。

2年間失意のシーズンを過ごした後、アルサモラは1999年にタイトルを獲得することになる。シーズン5勝を挙げたマルコ・メランドリの追撃を1ポイント差で抑え、最終戦アルゼンチンGPでワールドチャンピオンに輝いた。他にこの年のライバルには、メランドリと同じく5勝を挙げた東雅雄、2勝のロベルト・ロカテリ、ジャンルイジ・スカルビーニ、1勝の上田昇アルノー・ヴァンサンらがいたが、驚くべきことにアルサモラは10回表彰台に立ちながらも、1勝も挙げずにタイトルを獲得することになった。

タイトル防衛の年

2000年にはワークス仕様のホンダ・RS125を与えられ、タイトル防衛を目指した。ヘレスエストリルと2勝を挙げたものの、マヌエル・ポジャーリ宇井陽一に敗れてシリーズ3位に終わった。

250ccクラス復帰

2001年は250ccクラスに復帰を果たし、ファウスト・グレシーニ率いるグレシーニ・レーシングでワークス仕様のホンダ・NSR250を駆ることになった。この年グレシーニチームはアルサモラが持ち込んだテレフォニカ・モビスターのスポンサードを受けることになった。チームメイトはこの年のチャンピオンとなる加藤大治郎だった。大治郎の活躍には及ばないものの、アルサモラは2度表彰台を獲得、シリーズ7位に入った。

2002年もアルサモラはチームに残留、スポンサーがテレフォニカ・モビスターからフォルトゥナに代わりロベルト・ロルフォをチームメイトに迎えた。この年も2度表彰台を獲得し、前年限りで開発が終了したNSR250で2年連続でシリーズ7位になった。

三度125ccクラスへ そして引退

2003年、アルサモラはデルビ・チームのオファーを受け125ccクラスに戻り、GP2年目のホルヘ・ロレンソのチームメイトを務めることになった。この年はポイント圏内で完走することすら困難となり、僅か2ポイントの獲得、シリーズ31位に沈んだ。アルサモラはこの年限りで二輪レースを引退する。

引退後の活動

現在はモータースポーツの選手・メカニックを育成する モンラウ・コンペティチオン[2]の代表を務め、後進の指導にあたっている。2010年125ccクラス世界チャンピオンのマルク・マルケスも国内選手権時代からアルサモラの指導を受けている[3]2011年にはモンラウ・コンペティチオンがチームとしてMoto2クラスに参戦、アルサモラはチームマネージャーとしてマルケスのMoto2デビューに立ち会うこととなった[4]




「エミリオ・アルサモラ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エミリオ・アルサモラ」の関連用語

エミリオ・アルサモラのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エミリオ・アルサモラのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエミリオ・アルサモラ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS