アステカ料理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 18:06 UTC 版)
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アステカ文明での主要な食料はトウモロコシである。それは東アジアにおける稲やヨーロッパの小麦と同じく、アステカの精神世界においても重要な位置を占めている。トウモロコシはトルティーヤ(薄焼きパン)やタマル(蒸し団子)、粥に加工され、主食となった。トウモロコシ製品と、塩、チレ(トウガラシ)が食の基本であり、断食の儀礼の際は塩とチレの摂取が禁じられた。トウモロコシや塩以外の重要な食素材は、インゲンマメとアマランサスである。また、トウモロコシを石灰水で煮込んでから調理することで食感と栄養価を高め、さらに豆類の料理を付け合せることでトウモロコシ食で不足しがちなビタミンを補い、ペラグラを予防していた。
水とトウモロコシの薄粥、そしてリュウゼツランの汁を醗酵させた酒プルケが、アステカにおける一般的な飲み物である。さらに蜂蜜、サボテンや果物の汁を醗酵させた飲料も存在した。その一方で社会的階級の高いものはプルケを避け、カカオから作られる飲料を口にすることを誇りとした。カカオの飲料「ショコラトル」は王族、貴族、戦士のみが飲用を許される贅沢品で、トウガラシ、蜂蜜、香辛料、バニラなどで味付けされていた。
食用の動物は七面鳥などの家禽、ホリネズミ、グリーンイグアナ、メキシコサラマンダー、海老、魚さらに昆虫類やその卵など多種多様である。野菜類ではカボチャが好まれ、種も煎って食用にした。トマトは今日栽培されているものとは異なる品種が食され、トウガラシと混ぜてソースにするか、トウモロコシとともにタマルの詰め物にされた。キノコ類も好まれ、トウモロコシ黒穂病に侵されたトウモロコシに育つ菌までも「珍味」として珍重した。
日々の食事
アステカ社会の食事は一日に2度だったが、肉体労働者は夜明け・午前9時頃・午後、と1日に3食を摂っていた[1]。これは近代ヨーロッパの食事形式とよく似ている。メニューはアトルと呼ばれるトウモロコシの粥が中心である。濃厚なアトルは、トルティーヤと同じくらいの栄養価を持つ。
宴会
アステカでは、儀礼や祭事に伴って宴会が行われていた。その宴の有様は、詳細に残された記録で伺うことができる。まず宴に招かれた客人は、使用人たちから煙草と花束を渡され、これで自身の首筋や腕を拭う。宴の開幕に伴い、ご馳走の一部を地面に落とすことで神に捧げる。軍事国家のアステカでは戦士の社会的地位が高かったため、テーブルマナーは戦士の行いに従ったものだった。例えば、喫煙用のパイプや花は使用人の左手から客人の右手に手渡され、盆は右手から左手に手渡された。これは戦士がアトラトル(槍投げ器)や矢、盾を受け渡す際のしきたりと同じものだった。花は受け渡す手が右か左かで名称が異なる。"剣の花"は右手から左手に手渡され、"盾の花"は左手から右手へと渡る。食べる際、客人は右手にソースを満たした小鉢を持ち、左手で持つトルティーヤやタマルを浸して食べる。ショコラトル(カカオの飲料)は、ヒョウタンの器に入れられ、かき混ぜるための棒を添えて提供される。
宴会では男女の同席が禁じられたとの説があるが、その確証は無い。チョコレートの飲用は男性にのみ許され、女性はposolli(粥の一種)かプルケを飲用した。また、裕福な者が開く宴会では、主催者は中庭を囲む小部屋に客人を留める。皆が見守る中庭で、上級軍人が舞い躍る。 深夜に一部の客人はチョコレートとマジックマッシュルームを服用し、酩酊状態の中で見た幻を他の人々に語る。夜明け前に至って客は歌を提供し、捧げものを焼き、あるいは中庭に埋めることで主催者とその子供の幸運を祈る。朝を迎えて宴はお開きになり、花と葉巻、その他食物は老人や貧者、招待客、そして雇い人に分け与えられる。アステカ人の精神世界では、万物には2面性があり、人はその中庸を生きるべきだとされた。宴会もこの思想の元に執り行われていた。[2]
調理法
鉄器の存在しないアステカ文明では、調理器具の全てが石器か土器だった。基本的な調理器具は鞍型臼「メタテ」と、持ち手が2つある土鍋xoctliである。メタテで石灰処理したトウモロコシをすり潰し、土鍋で煮るか蒸すかする。トウモロコシの団子「タマル」は蓋付きの土鍋を使って蒸し上げた[3]。アステカ料理を記したスペイン人の記録には揚げ物も記されているが、実際には揚げ物ではなく、シロップの中で素材を煮る調理法を見間違えたものらしい。考古学的には、大規模な油脂の圧搾装置や、揚げ物に適した形の鍋は見出されていない[4]。
トルティーヤ、タマル、煮込みやソース類がアステカ料理の基本的なレパートリーである。食事の基本はMolcajete(すり鉢)で塩とトウガラシを搗き混ぜ、水を加えて作るソースを添えたトルティーヤである。また、トウモロコシの生地で七面鳥の肉を包んで調理することも行われていた。アステカの都市では市が開かれ、素材と共に様々な料理も売られていた。その中で、喉の渇きを癒すものとして粥の屋台に人気があった[5]。
注釈
- ^ カカオに加える香りは様々であるが、一般的なものとしてウエイナカストリ (Cymbopetalum penduliflorum)、「樹脂様の苦味を持つ黒胡椒」で会食に用いられたテオナカストリ (Chirantodendron pentadactylon)、コショウの仲間のメカショチトル (Piper amalgo)、ヨロショチトル(メキシコ産モクレンMagnolia mexicanaの花)は熟したメロンの香り、piztle(Calocarpum mammosum)の種子)は苦いアーモンドの香り、pochotl(Ceipa spp.の種子)は"甘くてこくがある"オールスパイスと表現される。一番普通のレシピはメカショチトル、'ウエイナカストリ、バニラ、柔らかくしたトウモロコシとカカオをぬるま湯で混ぜて、できたてを飲むものである。
出典
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