なぜ私は私なのか 関連する話題

なぜ私は私なのか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 20:31 UTC 版)

関連する話題

  • この問題は倫理学における利己主義の問題と関わる。他者の痛みが痛くないこと、自分の痛みだけが痛いこと、この基本的な事態が利己主義というものが成立しうる基盤を提供している。もし他者の痛みが、自分の痛みと同様に、痛いならば、利己主義を貫徹することには強い困難が伴う。
  • この問題はの問題と関わる。死には色々な定義を与えることが可能だが、死とは特殊なあり方をしたこの<私>の永遠の消滅である、という形で捉えて議論することができる。たとえば今の自分の体が分解され、直後にスワンプマンのような自分の物理的コピーが現れたとしても、そのスワンプマンが<私>でないならば(つまり「スワンプマンの目を通して世界が見える」のでないならば)、それは<私>にとって死である、といった形の議論ができる。

脚注

参考文献

哲学的議論
心理学的研究
文献案内
この問題を中心とする関連した問いについて哲学的思索を展開している人物として日本語圏で最も有名なのは永井均である。永井は多数の著作を発表しているが、どの文献においても本稿の問題と何らかの形で関連する話題が取り扱われている。そうした多数の著作の中で、特に、一般向けに平易な言葉で書かれているものとしては、まず『<子ども>のための哲学』(この書籍は前半部分が本稿で扱っている問題に、後半部分は「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という道徳の基礎付けに関する問題に充てられている)、そして『転校生とブラックジャック』がある。『転校生とブラックジャック』は全編が本稿で扱っている問題にあてられている(当書の一風変わったタイトルは、映画『転校生』、そして書籍中で提示される思考実験『天才外科医がある日、太郎君と次郎君の脳の交換手術を行う』という話から採られている)。またもし手に入るのであれば、永井による最も簡潔な解説として、『事典 哲学の木』に収録されている永井による「私」の項目が最も便利である(3ページだけの文章)。英語圏で本稿に関する問題について論じている最も有名な人物はトマス・ネーゲルである。本稿の問題に関する彼の考察は彼の著書『どこでもないところからの眺め』の中にまとめられている。当問題に関する過去の議論や研究の状況を調査した文献としては天谷祐子の『私はなぜ私なのか―自我体験の発達心理学』第一章が充実している(この第一章とほぼ同内容の論文をオンラインで無料で見ることができる。天谷祐子 (2003))。

関連項目


注釈

  1. ^ 其は汝なり(Tat tvam asi, तत्त्वमसि):「それはおまえである」「おまえはそれである」などとも訳される。 チャーンドーギア・ウパニシャッドの中に残されている、紀元前8世紀のインドの哲学者ウッダーラカ・アールニの言葉。後のヴェーダーンタ学派において「我はなり」と並ぶ二大格言のひとつとされた。(『わが世界観』p.102 の訳注より)

出典



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