吳三桂とは? わかりやすく解説

ご‐さんけい【呉三桂】

読み方:ごさんけい

[1612〜1678]中国明末・清初武将遼東(りょうとう)(遼寧省)の人。字(あざな)は長白明末遼東総兵として山海関守ったが、李自成(りじせい)が北京陥れる清に降り、清の中国統一助け、平西王に封ぜられて雲南鎮守駐屯した。1673年清に背いて三藩の乱起こし周王称した


呉三桂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:01 UTC 版)

呉 三桂(ご さんけい、拼音: Wú Sānguì ウ サンクィ)は、の初代皇帝、初の将軍。遼東で清軍に対峙していたが李自成の北京占領に際して清に味方し、清の中国平定に尽力した。平西王として勢力を揮うが後に清に背き、三藩の乱を引き起こした。周王朝(大周)を建国して皇帝を称したが、に滅ぼされた。子に呉応熊ら、孫に呉世璠




「呉三桂」の続きの解説一覧

呉三桂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:09 UTC 版)

国性爺合戦」の記事における「呉三桂」の解説

将軍。明の忠臣敵弾倒れた帝の寵妃婦人の腹の太子と自らの子入れ替え太子をつれて山々逃げ仙山隠れる。

※この「呉三桂」の解説は、「国性爺合戦」の解説の一部です。
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呉三桂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 14:18 UTC 版)

鹿鼎記」の記事における「呉三桂」の解説

明朝滅亡させた後、清に屈服し満洲人中原支配貢献。そのため、本作では、売国奴、「亀野郎」。として漢人から憎み嫌われている。

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