集団脱獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 04:59 UTC 版)
「アラビア半島のアルカーイダ」の記事における「集団脱獄」の解説
2006年2月、イエメンのサナアの刑務所に収容されていた23人のアルカーイダのメンバーが脱走に成功した。そのうちの1人、ナシル・アル=ウハイシ(英語版)(Naser al-Wuhayshi)がAQAPのリーダーである。アルカーイダのアイマン・ザワーヒリーもAQAPはウハイシが指導していると認めている。ウハイシはかつてアフガニスタンでビン・ラーディンの秘書を勤めていた側近である。2001年にアフガニスタンを出国するとイラン当局に逮捕され、身柄をイエメンに引き渡され刑務所に収容されていた。同じく刑務所からの脱走組のカシム・アル=ライミ(Qasim al-Raymi)がAQAPの軍事部門の最高責任者で、イエメン国内に軍事訓練キャンプを設立し民兵をリクルートしてきた。ライミは2010年1月、アリー・アブドッラー・サーレハ政権のAQAPへの空爆作戦で死亡したとされる。グアンタナモ湾収容キャンプでサウジアラビアが行っていた過激派再教育のためのカウンセリング・プログラムから姿をくらましたサイード・アリ・アル=シフリ(Said Ali al-Shihri)がAQAPのナンバー2であった。シフリは2001年にパキスタンとアフガニスタン国境で逮捕されグアンタナモに収容されていた。シフリも2011年2月に空爆で死亡したとされる。 イブラヒム・スレイマン・アル=ルバヤシュ(英語版)(Ibrahimj Sulayman Arbaysh)もグアンタナの元収容犯で、AQAPにおいてムフティーとなっている。AQAPはメンバーがイエメンの部族と婚姻を進めることでイエメン国内に拠点を構築していると言われている。2011年5月、AQAPはイエメン南部のアビヤン県の県都ジンジュバール(英語版)を制圧したと報道された。
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