独立承認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 15:15 UTC 版)
ベルリンの壁崩壊に象徴された冷戦終結以降、アメリカ合衆国はメンギスツ政権が倒れた1991年5月までの間、ワシントンにおける和平会談を促進していた。1991年5月中旬、メンギスツはエチオピア元首から退き、ジンバブエに亡命した。エリトリアに残存するエチオピア軍を掃討したため、EPLFはエリトリア州全域を支配下に置いた。米国は戦争終結のためロンドンでの和平会談の議長を務めた。これらの会談はEPLFを含む4つの主要な武装集団の代表者が出席して行われた。EPLFはエリトリア新暫定政府とエチオピア政府との会談に暫定政府とは別にオブザーバーとして出席していた。その結果、エチオピアがエリトリア人の独立に関する国民投票を行う権利について承認する協定が結ばれた。 エリトリアの独立に関して99%を越える支持を受けた1993年4月の国民投票の結果は国際連合エリトリア国民投票監視ミッション(United Nations Observer Mission for the Eritrean Referendum,UNOVER)によって承認され、1993年5月24日に国際的にも独立した。1993年5月28日、国際連合はエリトリアの加盟を正式に承認している。
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