強結合近似
固体物理学において、強結合近似(きょうけつごうきんじ、英: tight-binding〔TB〕approximation)は電子バンド計算の際に用いられる近似の一つで、系の波動関数を各原子の場所に位置する孤立原子に対する波動関数の重ね合わせにより近似する手法である。この手法は量子化学で用いられるLCAO法と密接な関係がある。さまざまな固体に対して用いることができ、多くの場合で定量的に良い結果を得ることができる。そうでない場合は他の手法と組み合せることもできる。強結合近似は一電子近似であるが、表面準位計算や様々な多体問題、準粒子の計算などの進んだ計算の叩き台として用いられる。強束縛近似、タイトバインディング近似とも。
概要
「強結合」という名前は、この電子バンド構造モデルが固体に強く結合した電子の量子力学的物性を記述することから来ている。このモデルにおける電子は、その属する原子に強く束縛されており、隣接する原子の状態やそれの作るポテンシャルや相互作用は限定されたものとなる。結果として、電子の波動関数はその属する原子が遊離状態にある時の原子軌道に似たものとなり、エネルギーも遊離原子およびイオンにおけるイオン化エネルギーに近くなる。
強結合近似の下の一粒子ハミルトニアンの数学的形式[1]を初めて見るときは複雑に見えるかもしれないが、このモデルはまったく複雑ではなく、直感的理解が極めて容易である。この理論で重要な役割を果たすのは三種類の行列要素だけである。このうち二種類はゼロに近いことが多く、しばしば無視される。最も重要なのは原子間行列要素であり、化学の分野では単に結合エネルギーと呼ばれる。
一般に、このモデルではいくつかの原子エネルギー準位と原子軌道が用いられる。ここで、各軌道は異なる点群の表現に属することがあり、その場合はバンド構造が複雑になりがちである。逆格子およびブリュアンゾーンはしばしば格子の空間群とは異る空間群の表現に属することになる。ブリュアンゾーンの高対称点は異った点群表現に属する。単純な化合物を対象とする場合、高対称点の固有状態を解析的に計算するのは難しくない。そのため、強結合モデルは群論について学ぶ際の好例として挙げられることがある。
強結合モデルはその長い歴史上、様々な方法で様々な目的に用いられており、それぞれ異った結果をもたらしている。このモデルは自己完結的ではなく、部分的にほとんど自由な電子モデルなどの他のモデルや別の方法による計算の結果を組込む必要がある。このモデル全体、もしくは一部分が他の計算の基として用いられることがある[2]。たとえば、導電性高分子や有機半導体、分子エレクトロニクスの分野においては、もともとの強結合モデルでは原子軌道を用いるところに共役系の分子軌道を用い、原子間行列成分を分子内・分子間ホッピング・トンネリングパラメータにおきかえたものが用いられている。これらの導電体のほぼ全ては非常に非等方性が強く、完全に一次元的であると見做せることもある。
歴史的背景
1928年までに、フントの成果に影響されたマリケンは、分子軌道というアイデアを得ていた。B. N. FinklesteinとG. E. Horowitzにより分子軌道を近似する手法としてLCAO法が考案され、同時かつ独立に、固体に対するLCAO法がブロッホにより開発され、彼の1928年の博士論文として発表された。特に遷移金属のdバンドを近似するために、さらに単純なパラメトライズされたタイトバインディングモデルが1954年にスレイターとコスターにより提案された[1]。これはSKタイトボンディングモデルと呼ばれることもある。このモデルでは、固体の電子バンド構造計算をもともとのブロッホの定理ほど厳密に行わず、ブリュアンゾーンの高対称点の計算のみを行って残りの点でのバンド構造は高対称点間の補間により求める。
この手法では、別の原子サイトとの相互作用は摂動として扱われる。とり入れるべき相互作用として、数種類のものがある。結晶のハミルトニアンを各原子のハミルトニアンの和として表わすのはあくまで近似であり、また隣接する原子同士の波動関数は重なりを持つことから、真の波動関数を精度よく表現できるわけではない。 詳細な数学的形式については後述する。
3d遷移金属電子のように極めて局在化している電子は強相関と呼ばれる振舞いを示すことがあり、強相関電子系についての最近の研究には基礎的な近似として強結合近似が用いられる。この場合、電子電子相互作用のふるまいは多体系の物理学を用いて記述する必要がある。
強結合近似モデルは静的な電子バンド構造計算およびバンドギャップ計算に用いられることが多いが、乱雑位相近似 (RPA) モデルなどの手法と組み合わせることにより系の動的応答の研究にも用いられることがある。
数学的形式
強結合近似と同じ種類の言葉
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