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三浦環

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 10:08 UTC 版)

三浦 環(みうら たまき、1884年明治17年)2月22日 - 1946年昭和21年)5月26日)は、東京府東京市京橋区(現:東京都中央区京橋)出身の日本の女性歌手。


  1. ^ 出生地を東京市芝区(現:東京都港区芝)としているサイトも存在する[3]。ただし、少なくとも東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)入学以降は東京市芝区に在住していた[4]
  2. ^ 「ピアノを瀧廉太郎に、声楽をユンケルに習う」と記述しているものも存在する[1]
  3. ^ この公演は東京帝国大学東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)、東京音楽学校の学生や卒業生によって開催されたもので、演目はクリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲の「オルフェオとエウリディーチェ」で、三浦は主役にあたるエウリディーチェ役を演じた。当時は本格的なオーケストラが存在しなかったため、ピアノ伴奏によって開催されたとされている[5][8]
  4. ^ 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の復興活動を通じて集まった婦人団体からなる「東京連合婦人会」が公演を主催した。環が務めたタイトル・ロール(蝶々夫人)以外の主要キャストとしては海軍士官ピンカートン役に永田絃次郎と渡邊光のダブルキャスト、アメリカ領事シャープレス役には下八川圭祐が起用された。この他、演出は伊庭孝が担当し、管弦楽は篠原正雄が指揮する中央交響楽団が担当した[15]
  5. ^ 前述の“2001回目”の公演から約7ヶ月後の1937年(昭和12年)1月28・29日に大阪市中央公会堂にて開催された環主演による「蝶々夫人」は関西地方での初公演となり、環による日本語訳の歌詞が使用された。この公演は東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)の卒業生で組織された「同声会」大阪支部の主催で開催されたもので、支部長を務めていた永井幸次大阪音楽学校の創立者としても知られている[17]
  6. ^ 開催にあたっては、当時入院していた大東学園病院の医師が付き添い、注射を打つなど常時待機していた。また、舞台上へは振袖を着用し、マネージャーや弟子の手を借りながら登場していた[13][20]
  7. ^ 最初の録音は4月5日に行われ、シューベルトの歌曲集「冬の旅」全曲を収録した。2回目は4月9日で自身の十八番である“蝶々夫人”から「ある晴れた日に」「ハミングコーラス」「操に死ぬるは」と義太夫節「三十三間堂棟由来」(浄瑠璃「祇園女御九重錦」三段目)から「木遣歌」を収録した。同時にジャコモ・プッチーニとの思い出も収録した。3回目は4月16日に行われ、「庭の千草」「ケンタッキー・ホーム」「ホーム・スイート・ホーム」などのポピュラー曲を管弦楽伴奏付きで収録している。これら計3回の録音のうち、2回目の録音では当時のNHK第1スタジオが使用され、管弦楽(クラウス・プリングスハイム指揮)が準備された一方、舞台裏には簡易便器も用意されていたという[21]
  1. ^ a b c d 世界のプリマドンナ三浦環とは/プロフィール”. マダム・バタフライとは. マダム・バタフライ インターナショナル財団. 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。《》
  2. ^ a b c d e コンクールについて”. 静岡国際オペラコンクール. 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。《》
  3. ^ 酒井義夫(いずみ書房創業者) (2014年5月26日). “『蝶々夫人』の三浦環〜今日はこんな日”. 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ. いずみ書房. 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。
  4. ^ a b 江本弘志『日本人歌手ここに在り!:海外に雄飛した歌い手の先人たち』文芸社、2005年、10頁。ISBN 483558922X 
  5. ^ a b c d e f g h i 人間の記録27 三浦環”. 一般・図書館向け〜文芸・読みもの. 日本図書センター (1997年6月). 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。《》
  6. ^ 東京芝今入町より上野まで自転車通学をしていた。このコースについては、瀬戸内寂聴が一ツ橋、神田、本郷から切通しを過ぎて池之端に出たとする説に対し、「本の話」では神田橋を渡るまでは同じだが、直進し靖国通りを横断して淡路町を抜けて昌平橋を渡り明神通りを経て中央通りを直進した方が時間と坂道が少ないと異論を出している。出典は『自転車の文化史:市民権のない5,500万台』、佐野裕二、文一総合出版、1985.1、P170-171
  7. ^ 「蝶々夫人」を1910-30年代に欧米で歌ったソプラノ歌手・三浦環の数奇な音楽人生坪井賢一、ダイヤモンド社、ダイヤモンドオンライン、2014.8.22
  8. ^ a b c 網倉俊旨date=2010-03-11. “歩いてみよう、上野界隈・第二回「旧東京音楽学校奏楽堂」”. 春祭ジャーナル~東京・春・音楽祭. 東京・春・音楽祭実行委員会. 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。《》
  9. ^ 坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員) (2014年8月22日). “「蝶々夫人」を1910-30年代に欧米で歌ったソプラノ歌手・三浦環の数奇な音楽人生(全6頁中2頁目)”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。 “かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史【第58回】”《》
  10. ^ 山田耕筰『自伝 若き日の狂詩曲』中公文庫中央公論新社)、1996年6月。ISBN 4122026245。"改版あり(初回刊行「2016年1月21日」・ISBN「4122062187」)"。 
  11. ^ 『ロームミュージックファンデーションSPレコード復刻CD集』「日本SP名盤復刻選集Ⅰ」(解説書). ロームミュージックファンデーション. (2004年) 
  12. ^ 読売新聞』1922年8月3日(倉田喜弘『日本レコード文化史』東京書籍(東書選書 124)、1992年、113頁。ISBN 4-487-72224-1)。
  13. ^ a b c d e f g 坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員) (2014年10月3日). “日本人初の世界的なオペラ歌手として活動した三浦環20年間の最盛期をたどってみた(全6頁中4頁目)”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月21日閲覧。 “かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史【第61回】”《》
  14. ^ 三浦環 みうら たまき”. コトバンク. 朝日新聞社. 2016年3月13日閲覧。
  15. ^ 三浦環主演 グランドオペラ《蝶々夫人》”. 昭和音楽大学オペラ研究所オペラ情報センター. 昭和音楽大学. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。《》
  16. ^ 日本人初の世界的ソプラノ、三浦環誕生(1884~1946)”. おんがく日めくり. ヤマハ. 2007年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。《》
  17. ^ 大阪音楽大学創立100周年誌編集室. “関西音楽史のなかの大阪音楽大学(大阪音楽大学の歴史)”. 学校法人大阪音楽大学100周年記念事業. 大阪音楽大学. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。 “ページ表示後、中程に掲載されている年表上部に並ぶタブのうち「1931年-1945年」タブをクリック”《》
  18. ^ a b 三浦 環”. 山中湖村ホームページ(旧). 山中湖村. 2008年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
  19. ^ 工藤正義(三島由紀夫文学館). “人物「三島由紀夫・三浦環・徳富蘇峰と山中湖」”. 山中湖村エコツーリズム. 山中湖村エコツーリズム推進協議会. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。《》
  20. ^ a b c d e 『三浦環のプロフィール』:新字新仮名 - 青空文庫《→アーカイブ〔カード(表紙)作品本文〕》
  21. ^ a b c 坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員) (2014年10月3日). “日本人初の世界的なオペラ歌手として活動した三浦環20年間の最盛期をたどってみた(全6頁中5頁目)”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。 “かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史【第61回】”
  22. ^ 寿徳寺・三浦環墓碑”. 山中湖観光協会. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
  23. ^ 寿徳寺”. 山中湖村観光課公式サイト. 山中湖村. 2016年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
  24. ^ 4.三浦環像?旧自由亭(「ナガジン」発見!長崎の歩き方) - 長崎市役所
  25. ^ a b c お蝶夫人、三浦環、右文社、1947(昭和22)年5月10日
  26. ^ 千葉秀浦著作集国立国会図書館デジタルコレクション
  27. ^ 三浦環の怪寫眞『実話ビルディング : 猟奇近代相』武内真澄 著 (宗孝社, 1933)
  28. ^ 孔雀女『茶話 大正六(一九一七)年』薄田泣菫、大阪毎日新聞
  29. ^ 吉田昌志「泉鏡花「年譜」補訂(9)」『学苑』第855号、光葉会、2012年1月、45-58頁、ISSN 1348-0103NAID 110008729486 
  30. ^ 若柳 燕嬢(読み)ワカヤギ エンジョウコトパンク
  31. ^ 柴咲コウ「エール」で朝ドラ初出演「うれしい」も世界的オペラ歌手役に苦戦「壁に…」基礎から声楽練習 スポニチAnnex 2020年2月3日閲覧


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