NPとUPによるCB&Q買収合戦の開始
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「ノーザン・パシフィック鉄道」の記事における「NPとUPによるCB&Q買収合戦の開始」の解説
1880年代後半、ビラード体制下において、また別の高コストの経営ミスがあった。それは、NPをミネアポリス・セントポール都市圏から、鉄道の要衝であるイリノイ州シカゴに延長することであった。その高コストのプロジェクトは、まだNPが到達していない地域でのユニオン・ステーション(共同使用駅)やターミナル施設の創設から始まった。 シカゴをダイレクトに目指す路線を建設するよりも、シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道(CB&Q)がそうしたように、おそらくミシシッピ川に沿ってシカゴを目指そうとして、そのためにビラードはウィスコンシン・セントラル鉄道をリースした。ウィスコンシン・セントラル鉄道の後援者たちは長期間にわたりビラードとも親しかった。この高額なリース契約は、NPの二度目の倒産により、一方的に破棄された。 結局、NPはシカゴと直結することなく残された。前述のとおり、シカゴは他の大規模な鉄道会社との重要な結節点であった。幸運にも、NPは孤立したわけではなかった。1893年にミネアポリス・セントポール都市圏とピュージェット海峡とを結んでいた、ヒル率いるGNもまたシカゴに直結することができなかった。ヒルはミネアポリス・セントポール都市圏とシカゴとを結ぶ既存のルートを探した。同時期、NP・GNと競合するユニオン・パシフィック鉄道(UP)の社長であるエドワード・ヘンリー・ハリマン(Edward Henry Harriman)もUPとシカゴとを結ぶルートを探していた。両者が目をつけたのが、CB&Qであった。 最初にCB&QにアプローチしたのはNP(ヒル、モルガン)であった。それを知ったUP(ハリマン、ウイリアム・ロックフェラー(William Rockefeller))は、もしNPがシカゴと直結すれば、UPよりも短距離でピュージェット湾とシカゴを結ぶことになるという脅威を感じ、CB&Qの買収に関与させてもらうよう要請した。しかし、NP側に断られてしまう。このことから、ハリマンによるNP買収工作が始まる。
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