柴田 南雄
東京生まれ。東京帝国大学理学部植物学科卒業後、同文学部美術史学科に入学。その間作曲を諸井三郎に師事する。卒業後1946年に、入野義朗らと「新声会」を結成。48年からは、井口基成らと「子供のための音楽教室」(桐朋学園大学の前身)を始め、教鞭をとる。一方で、《音楽芸術》誌にて、「バルトーク論」を初めとする現代音楽論を連載。53年からは入野義郎と12音技法の研究を始め、57年には「20世紀音楽研究所」を創設。ヨーロッパ前衛音楽の紹介に努める。59年から10年間、東京芸術大学楽理科で教鞭をとった後、69年以降、自ら日本民謡の採集を開始。作風も、それまでの「西洋音楽演習」的なものから、日本の民俗芸能を含む「多様式」的なものへと変化する。代表作には《追分節考》(73)他、一連のシアター・ピース(合唱劇)がある。96年永眠。文化功労者。
柴田南雄
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柴田 南雄(しばた みなお、1916年(大正5年)9月29日 - 1996年(平成8年)2月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。
- ^ 仙道作三『わがオペラの幕は上がる』春秋社、1996年、pp.36-64
- ^ 国立音楽大学附属図書館編『入野義朗』 (人物書誌大系19) 日外アソシエーツ, 1988, pp232-236
- ^ 「日本の作曲20世紀」音楽芸術別冊 (音楽之友社、1999), pp60-63
- ^ 富樫康『日本の作曲家』p.162,216。
- ^ 『音楽の世界』1998年10月合併号掲載のインタビュー「戸田邦雄さんに聞く~外交官で作曲家であった人生」で戸田はサイゴンから帰国した1948年の頃を振り返り「当時妹の夫だった柴田南雄」と発言している。
- ^ 萩谷由喜子『諏訪根自子』p.200。
- ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店、1995年、p.62
- ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店、1995年、p.366
- ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店、1995年、p.363
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