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柴田 南雄

【英】:Shibata, Minao

2007年4月 執筆者: 須藤 英子

東京生まれ東京帝国大学理学部植物学科卒業後、同文学部美術史学科に入学その間作曲諸井三郎師事する卒業1946年に、入野義朗らと「新声会」を結成48年からは、井口基成らと「子供のための音楽教室」(桐朋学園大学前身)を始め教鞭をとる一方で、《音楽芸術》誌にて、「バルトーク論」を初めとする現代音楽論を連載53年からは入野義郎12音技法研究始め57年には「20世紀音楽研究所」を創設ヨーロッパ前衛音楽紹介努める。59年から10年間、東京芸術大学楽理科教鞭をとった後、69年以降、自ら日本民謡採集開始作風も、それまでの「西洋音楽演習」的なものから、日本民俗芸能を含む「多様式」的なものへと変化する代表作には《追分節考》(73)他、一連のシアター・ピース(合唱劇)がある。96年永眠文化功労者

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

室内楽


柴田南雄

(Minao Shibata から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 09:56 UTC 版)

柴田 南雄(しばた みなお、1916年大正5年9月29日 - 1996年平成8年)2月2日)は、日本作曲家音楽評論家音楽学者


  1. ^ 仙道作三『わがオペラの幕は上がる』春秋社1996年、pp.36-64
  2. ^ 国立音楽大学附属図書館編『入野義朗』 (人物書誌大系19) 日外アソシエーツ, 1988, pp232-236
  3. ^ 「日本の作曲20世紀」音楽芸術別冊 (音楽之友社、1999), pp60-63
  4. ^ 富樫康『日本の作曲家』p.162,216。
  5. ^ 『音楽の世界』1998年10月合併号掲載のインタビュー「戸田邦雄さんに聞く~外交官で作曲家であった人生」で戸田はサイゴンから帰国した1948年の頃を振り返り「当時妹の夫だった柴田南雄」と発言している。
  6. ^ 萩谷由喜子『諏訪根自子』p.200。
  7. ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店1995年、p.62
  8. ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店、1995年、p.366
  9. ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店、1995年、p.363


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