マーシャル・ギルバート諸島機動空襲
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マーシャル・ギルバート諸島機動空襲(マーシャル・ギルバートしょとうきどうくうしゅう)とは、第二次世界大戦における太平洋戦争初期の1942年(昭和17年)2月1日に[1]、アメリカ海軍の空母機動部隊が行ったマーシャル諸島およびギルバート諸島の日本軍に対する航空攻撃である[2][3]。真珠湾攻撃で戦艦部隊に打撃を受けたアメリカ海軍の太平洋艦隊が、使用可能なヨークタウン級航空母艦を活用して一撃離脱を仕掛けた[4]。
注釈
- ^ 第8任務部隊指揮官。
- ^ 第17任務部隊指揮官。
- ^ 〔 二月一日 日曜日 雨後曇 敵機動部隊マーシャル來攻。〕
- ^ 被弾した九六式陸上攻撃機1機が敵空母(エンタープライズ)に体当たりを試みた[7]。
- ^ レキシントン級航空母艦2隻(レキシントン、サラトガ)、ヨークタウン級空母「エンタープライズ」[15]。
- ^ 1941年12月7日時点では大西洋にいた空母「ヨークタウン」も[16]、すぐに太平洋へ転戦した[6]。12月下旬にパナマ運河を通過した[17]。
- ^ 大西洋艦隊を含め、合衆国東海岸や大西洋では正規空母3隻(レンジャー、ワスプ、ホーネット)と護衛空母「ロング・アイランド」が行動していた。
- ^ (昭和17年2月)[18] ◇……馬來半島、蘭印の陥落を眺め、比島に於てはバタアン半島、コレヒドール島の米比軍を包圍されたアメリカは躍起になつて我に反撃を企てたが、僅かに空母機動部隊によるゲリラ戰反撃を行ひ得るに過ぎなかつた。/ 我が追撃の手の届きかねる布哇と濠洲東岸南太平洋方面を根據地として、米空母機動部隊は二方面から蠢動を開始した。/ 布哇を根據として出撃するものは中央太平洋を行動範圍として我本土の空襲を企圖し、他は南太平洋から出撃して我がマーシャル群島を襲ふか或はビスマーク群島、ニューギニヤ島等に對する我が追撃戰を阻まんとしたものゝ如くである。/ ○○海軍航空隊○○派遣隊は一日早晩、大型空母一隻、大巡四隻其他驅逐艦數隻からなる米機動部隊がマーシャル群島方面に蠢動するのを發見、中井一夫少佐式の攻撃部隊は寡兵にも拘はらずこれを遠く基地東方海上に捕捉して、極めて熾烈な激戰のゝち、敵機十數機を撃墜すると共に敵空母に直撃彈、至近彈數發を命中せしめ、甲板上の敵機を破壊、また巡洋艦一隻に爆彈數發を命中せしめて火災を生ぜしめた。/ 敵は我猛撃に驚いて、襲撃の企圖を放棄し退却したが、此の攻撃で我中井指揮官機の自爆をはじめ、隊員から犠牲者を出した。/ 中井少佐指揮の○○派遣隊に對しては後日聯合艦隊司令長官から感状が授與された。(以下略)
- ^ 軍隊区分における南洋部隊には、重巡4隻の第六戦隊[24]、第十八戦隊(天龍、龍田)、第六水雷戦隊(軽巡夕張、睦月型駆逐艦、神風型駆逐艦)が存在するが、1942年1月中旬以降はビスマルク諸島攻略作戦に投入されている[25][22][26]。
- ^ イギリスで建造され、日露戦争で活躍した浅間型装甲巡洋艦の2番艦。旧式化により装甲巡洋艦から敷設艦に改造されていた。第四艦隊隷下の第十九戦隊所属[25][27]。
- ^ a b 戦史叢書では支援艦7隻とし、他に「鳴戸」と「第2あまかす丸」の船名が挙がっているが[29]、先遣部隊戦闘詳報では他部隊所属艦となっている[30]。また、「鳴戸」はフィリピン方面におり、同型艦「知床」が第4艦隊指揮下で在泊中。「第2あまかす丸」は所属不明であるが、第6根拠地隊の給水船「第1あまかす丸」が在泊中。
- ^ 「ラングレー」撃沈は[34]、完全な誤報である。実際の「ラングレー」は蘭印作戦中の1942年2月28日にジャワ島南方で一式陸上攻撃機により大破、自沈した[35]。
- ^ 〔 一月十二日 月曜日 晴 メナド占領。伊八潜レキシントン襲撃。(伊八は原文通り) 〕
- ^ (太平洋上米國軍艦上より廿二日UP記者發)[39] 太平洋上に敵艦隊を求めて行動中の米國艦隊の乗員達は本日東京レデオ放送子が「米國は今回航空母艦レキシントン號を失つた、ラングレイ、エンタプライズに次で今回レキシントンを失ひ殘るはサラトガのみである」と放送するのを聞いてあつ氣にとられた、何となればレキシントン號は既にこの索敵艦隊の一員として僚艦と共に行動中なのである、又エンラ―プライズ號も健在である これは記者が數日前目前に見たから間違ひない。ラングレイ號については記者は全然分らぬが日本放送がいかに出たら目であるかを思へばこれも健在と見てよい(記事おわり)
- ^ 千歳空は空中戦で6機撃墜を記録した[52]。
- ^ 横浜空の飛行艇も「軽巡を爆撃したが命中しなかった」と報告している[79]。
- ^ ヤルート環礁東部のイミエジ島を発進した横浜空の1機が、未帰還となっている[84]。
- ^ 日本側もタロアから発進した九六陸攻が、米潜水艦を爆撃して「戦果大」と報告している[87]。
- ^ 五航戦の空母「翔鶴」は1月29日にトラック泊地を出発、2月初旬に横須賀へ入港した[93]。
- ^ 〔 二月四日 水曜日 晴(略)四艦隊長官より無慮一萬字に餘るマーシャル方面戰闘報告電あり(以下略) 〕
- ^ (華府十三日UP)[12] 去る一月卅一日マーシャル、ギルバート諸島を攻撃して日本の海空軍基地に大損傷を與へ、多數の日本艦船を撃沈或は損傷せしめた米國艦隊の奇襲部隊指揮官ウヰリアム.ヘールセイ中将は、その抜群の功を認められ最高勲章たる顯功章を授與され、ルーズベルト大統領より表彰された(記事おわり)
- ^ 〔 二月二日 月曜日 曇 風凪ぎ暖なり。〕
- ^ 警戒部隊(指揮官高須四郎中将、第一艦隊司令長官)の編成:第二戦隊(伊勢、日向、扶桑、山城)、第九戦隊(大井、北上)、第三航空戦隊(鳳翔、瑞鳳、三日月、夕風)、附属航空部隊(翔鶴、瑞鶴、秋雲、陽炎、霰)、第27駆逐隊第1小隊(時雨、白露)および駆逐艦「矢風」[105]。
- ^ 海軍省公表(昭和十七年十二月十六日)[7] 中井海軍大尉の指揮せる○○海軍航空隊○○派遣隊に對し聯合艦隊司令長官より左の通り感状授與せられ右の旨上聞に達せられたり 感状 中井海軍大尉の指揮せる○○海軍航空隊○○派遣隊 昭和十七年二月一日、敵米國機動部隊のマーシャル群島方面に出現するや寡兵獨力を以て犠牲を顧みず勇猛果敢反復敵を攻撃して之に損害を與へ遂に撃退したるは其忠烈顕著なりと認む 仍て茲に感状を授與す 昭和十七年十月十六日 聯合艦隊司令長官 山本五十六
出典
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- ^ a b Office of Naval Intelligence (1943), pp.3-4.
- 1 マーシャル・ギルバート諸島機動空襲とは
- 2 マーシャル・ギルバート諸島機動空襲の概要
- 3 背景
- 4 戦闘経過
- 5 結果
- 6 参加兵力
- 7 創作作品への影響
- 8 関連項目
- マーシャル・ギルバート諸島機動空襲のページへのリンク