KEIRINグランプリ'97制覇、2002-2003年の大活躍
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しかし、獲得賞金額上位で出場した1997年のKEIRINグランプリ'97で優勝した(歴代8人目)。この勝利で「無冠の帝王」を返上すると共に、特別競輪よりも上のランクのGPを一足早く取った。 その後は翌1998年の全日本選抜競輪で遅れ馳せながら特別競輪優勝を果たし、名実ともに中部地区だけでなく、競輪界を代表する選手となった。 出場はならなかったが、2000年のシドニー五輪を目指し、最終選考会に出場。ナショナルチームのメンバーとして2001年の「ワールドカップ第3戦」(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの結果も出した。 特に、2002年から翌2003年にかけての活躍は神懸かり的で、史上初のKEIRINグランプリ連覇を達成、さらに2002年は年間賞金獲得額を2億4434万8500円として長らく年間賞金獲得額の最高記録を保持する(2018年に三谷竜生が2億5531万3千円を獲得し更新)など、日本の競輪史上に「山田時代」を築いたといえる。KEIRINグランプリ03(抽選による6番車)を除き、GP優勝者特典で2003年1月から2004年11月までの約2年間を白の最内枠1番車固定で走った。
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