JWBC設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 05:10 UTC 版)
ついで山木は女子プロボクシングに注目。羽田真宏経営の白龍ジムの看板シュガーみゆきを中心に1996年10月から、女子プロボクシングの試合を同ジム主催のキックボクシング興行内で組むようになり、1999年には日本女子ボクシング協会(JWBC)を設立し、以後は女子プロボクシングの単独興行として開催し続けた。同協会初代会長はマリー・スピード(NZの元女子選手)であったものの、実際の運営は主管ジムの山木ジムであった(特に、同ジム所属軽量級選手だった高野由美らが尽力)。同ジムは単独での女子プロボクシングの中枢を担い、CS放送とはいえ定期的なテレビ放映を実現し、アマチュアボクシングの実力者からプロに転じたライカ(後の風神ライカ)を始め多くの女子ボクサーを育て上げた。ライカはJWBC時代に世界王者3階級制覇している。当時の女子プロボクシング興行の多くはジムの当時の所在地から至近の北沢タウンホールで開催された。2005年7月29日には新宿FACEのこけら落としの複数の女子格闘技団体が試合提供する「W-FACE」に参加しデビュー3戦目のツバサが判定勝。 トロイカ体制が崩壊するとともに山木は2002年9月末に6年半務めたMA日本キック理事長を退任。本格的に女子プロボクシングに注力するようになった。 2006年6月10日には新宿FACEで「山木祭り」と題して女子プロボクシングと男子キックボクシングの興行を昼夜分けて一日で開催した。この興行が同ジムにとり一応の区切りとなった。それから半年弱の11月30日を以ってMA日本キックを円満脱退。
※この「JWBC設立」の解説は、「山木ボクシングジム」の解説の一部です。
「JWBC設立」を含む「山木ボクシングジム」の記事については、「山木ボクシングジム」の概要を参照ください。
- JWBC設立のページへのリンク