ILPと第一次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 06:45 UTC 版)
「独立労働党」の記事における「ILPと第一次世界大戦」の解説
1914年4月11日、ブラッドフォードで設立21周年を祝う党大会を開く。ここ10年で党勢は急成長し、党員数は約3万人となった。執行部のみならず一般党員も今や平和主義者となり、戦争を「悪」とする風が強くなる。 同年8月の第一次世界大戦勃発は、国内の革新系組織に衝撃を与えた。ある歴史家が後年述べたように、「ハインドマンやカニンガム・グラハム、ウィル・ソーンやジョン・ロバート・クラインスは和平を模索したが、一旦戦争が始まると、社会主義者や労働組合員も他者と同様、その成り行きを見守った」という。 労働党に関しては、40名の議会議員の殆どと同様、党役員の大半が大戦に向けて徴兵キャンペーンを打つ事となる。ただし、独立労働党のみが超然とした態度を取った。 ILPは軍国主義や戦争にあくまで反対の立場を貫いたものの、こうした姿勢に対してジョージ・ニコル・バーンズ、ジョン・ロバート・クラインス、ジェームズ・パーカー、ジョージ・ワードルそしてジョージ・ヘンリー・ロバーツといった古参議員の主流派が離党。 一方で平和主義者のラムゼイ・マクドナルドは、開戦直後に労働党議長を辞職。ケア・ハーディ、フィリップ・スノーデン、ウィリアム・クロウフォード・アンダーソンの他、急進的平和主義を志向するグループも、政府や戦争を支持する労働党に断固とした立場を貫いた。 なお、大戦中の1917年6月にリーズで開かれたロシア革命会議は、アイルランドやインド、エジプトの完全独立を要求。
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