ILPと労働党政権(1922年 - 1931年)
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1922年の総選挙では、後に議長となるジェームズ・マクストンらILP系候補が複数当選し、党勢拡大が成っている。労働党の勝利にも貢献しているが、初の労働党政権には大いに失望。政権構想を整えていたものの、労働党執行部がこれを拒否したためである。 1929年から1931年にかけての第二次労働党政権では、37名の労働党議員がILPから支援を受け、労働党の指導体制に左派の立場から批判する事となる。この間、1930年に開かれたILPの会合では、政策が労働党とは異なる以上、議会議員は党を割ってまでILPの政策を支持すべきとの決定が下された。
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