HUACとFBIの調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 23:47 UTC 版)
「ポール・ロブスン」の記事における「HUACとFBIの調査」の解説
ソ連やとりわけヨシフ・スターリンへの共感などを表明した政治的な言動と、アメリカ共産党の党員であるという噂、そして頻繁なソ連訪問ゆえに、ロブスンはジョン・エドガー・フーヴァー率いるFBIによって取り調べを受けることになった。ロブスンは1941年から、1974年に当局が「(ロブスンの)さらなる捜査は正当でない」と決定するまで、FBIの監視下にあった。 1946年、 ロブスンはカリフォルニア州で下院非米活動委員会に訊問された。共産党員かどうかを質問されると、民主党と共和党のどちらに入党しているかを質問されたほうがましだった、それに米国では共産党もまた合法である、と答えた。だが、自分は共産党員ではないとも付け加えた。 10年後の1956年、ロブスンは共産党員ではないことを宣誓する供述書に署名することを拒否すると、下院非米活動委員会への出頭を命ぜられた。共産党員ではないかとの疑惑に関して質問されると、ロブスンは共産党が合法的な政党であり、投票所の前で入党するように勧誘されたことがあると委員に対して念押ししてから、合衆国憲法修正第5条をほのめかして返答を拒んだ。ロブスンは、アフリカ系アメリカ人に関する公民権問題について委員を痛罵した。 一人の上院議員がソ連に留まればよかったのにと尋ねると、このように反論した。「父は奴隷でした。わが同胞は命を削ってこの国を築き上げました。そして私は、まさにここに留まって、祖国の一部になろうとしているのです、ちょうど皆さんのように。皆さんのようなファッショ志願者が、私を祖国から追い立てようとしても無駄です。(私の話が)おわかりですか?」(下院非米活動委員会における証言、1956年6月12日)。ある箇所では、「あなたがたは愛国者ではないし、アメリカ人でもない。恥を知りなさい」とも述べた。 冷戦を専門とする歴史家のロナルド・ラドシュは、ロブソンがソ連邦ともソビエト共産党とも積極的に結びついていたことからすると、ロブソンを非米活動委員会の「犠牲者」だと評価することは不当であると論じている。ソビエト共産党の反米スパイ活動への深入りは有名だったからである[要出典]。
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