GAMの分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 18:14 UTC 版)
アムリザル J. プランによれば、2009年州議会選の後からアチェ州正副知事の2人と党幹部の間で対立が発生していたという。2011年12月4日、GAM幹部でアチェ州知事のイルワンディ・ユスフがアチェ国民党(英語版)を結党し、GAMはアチェ党とアチェ国民党の2党に分裂することとなった。2012年の州知事選では党幹部との対立が原因でアチェ党の公認候補になれなかった現職知事ユスフもアチェ州元居住・道路局長のムフヤン・ユナンを副知事候補として無所属で出馬したが、ザイニ・アブドゥラが州知事、アチェ党党首のムザキル・マナフが副知事に当選した。井上によればこの選挙でアチェ党はイルワンディ・ユスフに妨害工作を行っていたといい、彼は自らの支持者に対する27件の暴力事件などを理由に選挙無効を提訴して却下され、また同年6月25日の新州知事就任式では州議会議事堂の外で集団暴行を受けたという。またアムリザル J. プランによれば、アチェ党は無所属候補の統一首長選挙への出馬を2006年選挙に限定する規定を取り消した憲法裁判所の判決に不満を抱いており、選挙をボイコットする姿勢を示し2回の投票日延期につながったという。 2014年、ザイニ・アブドゥラ州知事とムザキル・マナフ副知事も対立することになった。この年の大統領選挙で、ザイニ・アブドゥラは闘争民主党などと同じくジョコ・ウィドドとユスフ・カラの正副大統領候補を支持したが、ムザキル・マナフはプラボウォ・スビアント、ハッタ・ラジャサ(英語版)組を支持した。ザイニ・アブドゥラは副大統領候補のユスフ・カラがヘルシンキ和平合意に貢献しておりジョコ・ウィドド候補もアチェで働いていた時期があることなどを根拠にあげ、一方ムザキル・マナフは貧困の撲滅、アチェ開発などの確約を得たとして、対抗陣営を支持するのはハラム、つまりイスラム教における禁止行為だと主張してアチェ党支持者らにプラボウォ・スビアント組を支持するよう命令したという。この選挙ではジョコ・ウィドド、ユスフ・カラ組が当選したが、アチェでの得票率は45.61パーセントで対抗陣営を下回っていた。
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