デボラ・コンパニョーニとは? わかりやすく解説

デボラ・コンパニョーニ

(Deborah Compagnoni から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/07 02:01 UTC 版)

デボラ・コンパニョーニ
デボラ・コンパニョーニ
名前
ラテン文字 Deborah Compagnoni
基本情報
国籍 イタリア
種目 アルペンスキー
生年月日 (1970-06-04) 1970年6月4日(55歳)
生誕地 ロンバルディア州ボルミオ
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1986年
引退年 1999年
総合優勝 14
通算成績 16
獲得メダル
女子 アルペンスキー
イタリア
1992 スーパー大回転
1994 大回転
1998 大回転
1998 回転
アルペンスキー世界選手権
1996 大回転
1997 大回転
1997 回転

デボラ・コンパニョーニDeborah Compagnoni1970年6月4日 - )は、イタリアロンバルディア州ボルミオ出身の女子アルペンスキー選手。男子アルペンスキーのアルベルト・トンバにちなんで「女トンバ」と呼ばれた。

経歴

1992年アルベールビルオリンピックのアルペンスキー女子スーパー大回転で金メダルを獲得。しかし翌日の大回転で大ケガを負い左膝の靭帯を痛めるが克服。以後は滑降などの高速系種目を離れ、技術系の種目に専念。

開会式でイタリア選手団の旗手を務めた1994年リレハンメルオリンピックは、スーパー大回転では大きなミスを犯して17位となり連覇を逃したが、得意の大回転で2位に1秒22の大差をつけて優勝。1998年長野オリンピックの大回転でも2位に1秒80の大差をつけて優勝し、アルペン史上初の3大会連続金メダルに輝いた。回転では1位と0.06秒差で金メダルを逃した。

たび重なるケガや病気を克服したことでも知られる。ひざは4回手術し、腎臓の伝染病にかかったこともある。1990年には腸閉塞で死にかけたこともある。1999年3月に現役を引退。アルペンスキー・ワールドカップでは通算16勝。

引退後の2000年秋、ベネトン創設者で会長のルチアーノ・ベネトンの息子アレッサンドロ・ベネトン英語版と結婚。3人の子供がいる。

2006年トリノオリンピックの開会式では、最終聖火ランナーの一つ前の引き継ぎを担当。(最終点火者は冬季五輪で10個のメダルを獲得した女子ノルディックスキー選手ステファーニア・ベルモンド。)

2026年ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピック開会式(ミラノサンシーロスタジアム会場)では、男子アルペンスキーのレジェンドであるアルベルト・トンバと共に最終走者を務めた[1]

脚注

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デボラ・コンパニョーニ」の関連用語

デボラ・コンパニョーニのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デボラ・コンパニョーニのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのデボラ・コンパニョーニ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS