BMW社の経営危機と2600/3200シリーズ
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「BMW・501/502」の記事における「BMW社の経営危機と2600/3200シリーズ」の解説
BMW・501/502は同時期のボルクヴァルトの6気筒モデルよりは商業的に成功し、BMWのイメージ再興にも大きな役割を果たしたが、このマーケットで圧倒的な強さを誇るメルセデスの敵にはなり得なかったし、敗戦国ドイツにおいてはこのクラスの高級車の需要は限られていた。501~507という大型高級車とサイクルカーのBMW・イセッタとその発展型のBMW・600という両極端しか持たないその車種構成が災いし、BMWは1950年代末にはBMWは経営破綻寸前にまで追い込まれた。 ダイムラー・ベンツへの吸収合併寸前の1959年にBMWを救ったのは、ナチスとの親密な関係を持ち、強制収容所のユダヤ人を自身の工場で酷使して富を築いたヘルベルト・クヴァントであった。クヴァント家の支配下、同年に600のコンポーネンツ流用で発売されたコンパクトカーのBMW・700と、続いて1961年に発表された先進的な中級乗用車BMW・1500(ノイエ・クラッセ)が相次いで成功を収めた結果、BMWの業績は急速に改善し、501/502シリーズもその生産を継続できることになった。 経営危機が去った1961年、501/502には前輪ディスクブレーキが与えられ、内外装を小変更して車名はBMW・2600/2600L/3200L/3200Sに改められた。そして1962年には、ベルトーネのチーフスタイリスト・ジョルジェット・ジウジアーロがデザインした2ドアクーペ、BMW・3200CSも登場した。 1964年までの501/502系の総生産台数は6気筒車が9,017台とV型8気筒車5,568台であった。
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