B脱走と殺害方針の決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:18 UTC 版)
「印旛沼事件」の記事における「B脱走と殺害方針の決定」の解説
7月15日 - Aの交際相手でもあった女性メンバーCがAの脱走後の動静を永田に報告。「親戚の家に来ていた私服刑事と酒を飲み、スリルを楽しんだと言っていた」「山岳ベースを舞台にした小説を書いている」という内容。いずれもベース発覚の恐れがある言動であり、Cは永田に「Aを殺るべきだ」と言ったという。永田はAの脱走を放置していた組織的誤りを認めつつも、CによるA殺害の提案には回答しなかった。 同日、交番襲撃計画の調査のために他メンバーとともに下山していたBがメンバーの隙をついて脱走したことが発覚。永田はCから聞いた脱走後のAの言動を坂口と寺岡に話し、AとBについて3人で協議。この時は寺岡による「牢屋案」(2人をベースに連れ戻し、牢屋に入れて反省を促すというもの)が支持された。 同じ頃、メンバー間でFの脱走についても話題に上がったが、Bの脱走が交番調査中であったことから「敵対行為」として問題視されていたため、Fの脱走はほとんど問題にされなかったという。 7月19日 - 上京して共産主義者同盟赤軍派の森恒夫と接触した永田と坂口がAとBの脱走の問題を話すと、森は「スパイや離脱者は処刑すべきではないか」と答える。坂口はこの森の発言を一般論を述べたものとして重く受け止めなかったという。 7月21日 - CがAとBのその後の動静を報告。Aは山岳ベースを舞台にした小説を3分の2以上書き上げたといい、Bは周囲や合法部メンバーに「山に行って来た」「山から降りてせいせいした」と話していたという内容。永田は危機感をつのらせ、永田が「牢獄でやっていけるかしら?」と言ったのに対し、寺岡が「殺るか?」と言い、これに永田が「うん」と言ったことにより処刑が決定された。坂口は無言で同意の態度をとった。この決定を受けて寺岡は「あとは軍に任せてくれ」と言ったという。
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