あさかぜ (列車)
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あさかぜは、1956年(昭和31年)から2005年(平成17年)まで東京駅 - 下関駅・博多駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた日本国有鉄道(国鉄)・JRの寝台特別急行列車である。また、このページでは、関連した東京と主に山陽地方・福岡県を結んだ急行列車の沿革についても記述する。
注釈
- ^ 当時の客車列車はまだ自動ドアの時代ではなかったため、運転停車という概念は存在しなかった。京都・大阪の両駅で深夜時間帯に客扱いをしなくなったのは、手動ながら扉の一斉施錠が可能な20系客車に置き換えられてからかなり年月が経った1970年以降である。
- ^ 上りは下関発25日から。『時刻表』1977年10月号編成表
- ^ 博多発着の列車は品川客車区の受け持ちであるが、電源荷物車には荷物積載量を5 tに増やしたカニ24形100番台が限定使用された。東京 - 博多間の「あさかぜ」が、東京駅発着の寝台特急では最も遅くまで20系客車で残ったのは、荷物輸送量が多く荷物積載量5 tの電源荷物車を使用する必要があり、24系25形への置き換えはカニ24形100番台の登場を待たねばならなかったという事情もあったためである。ただし荷物の輸送状況によっては、積載量が3tのカニ24形0番台が「あさかぜ」に、逆に100番台が「富士」「はやぶさ」「出雲」に使用されるねじれ現象が起こることもあった。
- ^ ごくまれに門司 - 博多間では、ED75等による牽引もあった。
- ^ (A) は旧一等寝台車(イネ)の区分室、 (B) はマロネ40形の区分室以外やマロネ41形など、冷房車の開放寝台でいわゆるプルマンタイプ(下段の昼間時状態が向かい合わせクロスシート)のもの、 (C) は (A) (B) のどちらにも該当しないもので、マロネ29形のような開放寝台のいわゆるツーリストタイプ(下段の昼間時状態がロングシート)のものや、全車4人用区分室ながら非冷房車のスロネ30形など、従前からの二等寝台車がこれにあたる。また、10系客車の二・三等寝台合造車で製造当初は二等プルマン寝台部分が非冷房のナロハネ10形も該当。1955年(昭和30年)の一等寝台車廃止・二等寝台車に編入する過程で、二等寝台車の設備が形式毎に格差が生じることになったため、寝台設備毎に二等寝台(1960年7月以降は一等寝台)A・B・Cクラスとして、寝台料金に格差を付けていた。
- ^ いわゆる「在来形車両」という定義は20系客車以前に設計・製造されたスハ43系客車までの車両と、20系客車と同時期に設計・製造されたがスハ43系までの車両と混用される前提で設計された10系客車および昭和初期までの木製客車に鋼体化改造を行った60系客車を指す。Wikipediaの「国鉄・JRの客車」一覧では「鋼製一般形客車」に該当する。詳細は、客車および国鉄20系客車を参照されたい。
- ^ ナロネ20の場合、正確には2人用区分室は1人用個室「ルーメット」2人分での販売ではなく、開放式寝台と同等の料金となった。しかし、販売上「定員2名の区分室で上下段」を分けて扱ったため、仮に全くの別人同士が利用する場合いわゆる「相部屋」となることから、マルス登場後でも配慮されたとされる。
- ^ スロ54形・ナロ10形・ナロ20形車両はいわゆる「特別二等車」であるが、特別急行列車の場合、他の列車でも「二等車」として扱われた。特別二等車を参照のこと。
参照元
- ^ ““殿様あさかぜ”体験記”. 鉄道ピクトリアル 2009年4月号 (電気車研究会). (2009-02-21).
- ^ 東京駅発、消えゆくブルトレ「銀河」「富士」「はやぶさ」…利用客減、廃止の方向 - 朝日新聞 2007年11月26日
- ^ a b 『「あさかぜ」最終列車、1分半で完売 ツアーも人気』 - asahi.com(朝日新聞) 2005年1月27日
- ^ 「寝台列車再生論」 - 戎光祥出版、2015年7月25日発行
- ^ 雑誌『鉄道ファン』交友社 Vol.45 No.527 p.81
- ^ 雑誌『鉄道ファン』交友社 Vol.45 No.527 p.87
- ^ a b 交通新聞社『トレたび』- 国鉄&JR列車名研究所 第13回「第1章 「動くホテル」と称賛された20系客車を使用した、夜行列車の代名詞 - 【あさかぜ】「朝に吹く風」という爽やかなイメージに由来」
- ^ 雑誌『鉄道ファン』交友社 Vol.45 No.527 p.65
- ^ 『新幹線発案者の独り言』pp.79 - 81
- ^ a b c このダイヤについては阪田貞之著『列車ダイヤの話』(旧中央公論社 1964年 中公新書 ISBN未設定書籍のため国立国会図書館NDL-OPACにより検索結果)に詳しい。
- ^ 東京発着の昼行客車特急は前年の1960年(昭和35年)6月1日改正で「つばめ」「はと」が電車化されて消滅し、それ以後は京都・博多間の「かもめ」のみが残存していたが、この改正で気動車に置き換えられた。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』399 p.70以下
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、14頁。
- ^ “ブルトレ食堂車も廃止”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1993年3月18日)
- ^ 『鉄道ピクトリアル』アーカイブスセレクション16「国鉄の客車 1950〜1960」pp.51, 67, 71
- ^ a b c d 三宅俊彦著『列車名変遷大事典』(ネコパブリッシング 2006年 ISBN 4-7770-5182-X)によると、場合によりスハニ32形車両の代わりにスハニ36形車両も連結された。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』399 p.61
- ^ 三宅俊彦著『列車名変遷大事典』(ネコパブリッシング 2006年 ISBN 4-7770-5182-X )
- ^ 寺本光照『国鉄在来線黄金時代の軌跡』イカロス出版刊「j train」No.32-
- ^ a b 関崇博・諸河久著『ブルートレイン』p.108(保育社カラーブックス483 1979年 ISBN未設定書籍のため国立国会図書館NDL-OPACによる検索結果)、三宅俊彦著『列車名変遷大事典』(ネコパブリッシング 2006年 ISBN 4-7770-5182-X )
- ^ 『鉄道ピクトリアル』電気車研究会 216号 p.8
- ^ a b c d 竹島、pp.24 - 25。
- ^ “サンライズゆめ”運転 鉄道ファン(2022年1月17日閲覧)
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