5~8歳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 00:06 UTC 版)
5歳になったプレストウコウはアメリカジョッキークラブカップ4着、前哨戦のオープン戦1着を経て天皇賞(春)に出走した。グリーングラスとの一騎討ちが予想されていたが、グリーングラスが優勝した一方で、プレストウコウは2周目の向正面で鞍ズレが発生して競走中止となり、両馬の明暗が分かれる結果となった。鞍ズレになった原因は郷原が通常使用している鞍を忘れ、別の鞍を使用していたためだった。 秋は前哨戦の毎日王冠を勝利し、天皇賞(秋)に出走した。レースでは絶好のスタートを切って、スムーズに逃げる態勢に入っていたが、5枠5番のパワーシンボリのゲートが開かず発馬できないというアクシデントが発生してカンパイになり、スタートがやり直しになった(ゲートが開かなかった原因はパワーシンボリがゲートに噛みついたため)。仕切り直しの再スタートではプレストウコウはまたも逃げる態勢に入ったが、今度は折り合いを欠いた。それでも優勝したテンメイと半馬身差の2着に粘ってみせた。続く有馬記念は、1番人気に推されたもののカネミノブの12着と大敗。レース後、球節炎を発症し長期休養に入った。 しかし、球節炎は最後まで完治することはなかった。有馬記念出走から9か月後の毎日王冠で4着になったのを最後に引退、種牡馬入りすることになり、8歳となった1981年1月18日正午、中山競馬場で引退式が行われた。菊花賞時のゼッケン15番をつけますます白くなった馬体に郷原騎手騎乗のもとファンに別れを告げた。。
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