40nm世代で先端プロセス開発から脱落とは? わかりやすく解説

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40nm世代で先端プロセス開発から脱落(2010年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 01:54 UTC 版)

ルネサスエレクトロニクス」の記事における「40nm世代で先端プロセス開発から脱落(2010年)」の解説

ルネサス2010年まで世界最先端半導体メーカーで、トレセンティテクノロジーズ(UMC日立合弁会社ラテン語で「300」を意味する「Trecenti」に由来時代2001年3月に、トレセンティが拠点を置く日立LSI製造本部N3棟(現・ルネサス那珂工場N3棟)において、世界初となる300mmウェハ量産成功した2008年には、当時半導体プロセス微細化世界最先端だったパナソニック1年遅れで45nm/40nm世代到達し鶴岡工場ルネサス山形セミコンダクタ、現・ソニーセミコンダクタ山形テクノロジーセンター)において、High-κ絶縁体用いた40nmプロセスによるシステムLSI量産開始された。2009年9月にはパナソニックとの共同開発により、ルネサス那珂工場新設した300mmウェハ開発ラインにおいて、世界初となる32nmプロセス開発ライン稼働させた。 2009年時点で、ルネサス那珂工場において世界初となる32nmプロセス量産化目途もついていたが、2010年7月29日、「100プロジェクト」の成果である2010年度2012年度中期計画として、32nm/28nm世代以降量産台湾TSMCと米GLOBALFOUNDRIESファウンドリ大手2社委託することを発表最先端プロセス研究開発自体継続することを表明したものの、増産投資抑制されルネサスは45/40nm世代最先端プロセス品の自社量産から撤退した。 なお、ルネサスの32nmプロセスパナソニックとの共同開発であることから、双方生産拠点量産が行われることとなっており、2010年にはパナソニック魚津工場(現・タワーパートナーズ セミコンダクター魚津工場)において世界初となる32nmプロセス量産ライン稼働しパナソニック家電LSIである「UniPhier」の製造開始した。しかし、パナソニックの地デジテレビやガラケー中心とする家電統合プラットフォームUniPhier構想スマホ時代に対応できず、パナソニック半導体部門2009年以降巨額赤字抱え2014年パナソニック魚津工場をタワージャズに売却その結果魚津工場の32nmプロセスタワーの45nmプロセスに置き換わり、ルネサス那珂工場の40nmプロセスが再び日本最先端となった)。

※この「40nm世代で先端プロセス開発から脱落(2010年)」の解説は、「ルネサスエレクトロニクス」の解説の一部です。
「40nm世代で先端プロセス開発から脱落(2010年)」を含む「ルネサスエレクトロニクス」の記事については、「ルネサスエレクトロニクス」の概要を参照ください。

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