2013年堺市長選での維新の会の敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 15:33 UTC 版)
「大阪都構想」の記事における「2013年堺市長選での維新の会の敗北」の解説
同構想は、大阪市のみならず堺市ほかの大阪市周辺の市域をも対象とするものとして構想され、さらには、より広い関西州の形成(いわゆる道州制)をも念頭において構想されたものであった。2013年伊丹・宝塚市長選挙では維新政調会長の浅田均が「周辺10市ぐらいが合併して、神戸市まで特別区にする」と述べ、大阪府内のみならず、兵庫県まで範囲を広げた大阪都構想に意欲を示した。しかし、両市長選で維新候補が惨敗すると、同年の兵庫県知事選挙に維新は候補者擁立を見送り、兵庫県の都構想参加は事実上議論に上がらなくなった。 さらに、2013年9月29日に実施された堺市長選挙において、堺市を分割する構想に反対する竹山修身が、大阪維新の会の候補者を19万8千票対14万票で破り再選を果たした事から、堺市が特別区に再編される事は事実上なくなった。なお竹山は、橋下徹大阪府知事(当時)の全面的な支援を受けて2009年9月27日の市長選挙で堺市長に当選したが、2010年末頃から大阪都構想をめぐり橋下と対立するようになり、2011年2月16日、政令市の区長権限の強化はするが公選制の導入は考えないとの意向を表明し、大阪都構想に伴う堺市の分割には反対するようになった。
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