2013年反政府デモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:55 UTC 版)
詳細は「2013年タイ反政府デモ」を参照 2013年11月、タクシンの恩赦を可能とするタイ貢献党議員による法案の強行採決が図られると、民主党は猛反発し、反タクシン派以外も多くがこれに抗議して反政府デモは勢いを強めた。この世論の反発により法案は否決されたが、抗議デモを開催し、アピシット政権では副首相であったステープ・トゥアクスパンは、インラック政権の打倒およびタクシン体制の根絶を訴える大規模デモの続行を宣言し、その後の財務省の占拠をはじめ政府機能に向けて過激なデモを強行した。12月9日、インラックは即時解散・総選挙を発表したがデモは止まらず、25万人が首相府周辺に集結した。12月26日には総選挙の妨害を図るデモ隊との衝突により、死者2人・負傷者150人余りとなった。翌2014年1月13日には、「バンコク封鎖」(英: Bankok Shutdown)と称して、デモ隊が都心部の主要7か所の交差点を占拠する事態となった。2月2日に総選挙が強行されたが、各地のデモ隊の妨害などにより、それは有名無実なものであった。憲法裁判所は3月21日、この総選挙の無効を決定した。
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