2010年2月の逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:57 UTC 版)
「アブドゥル・ガニ・バラダル」の記事における「2010年2月の逮捕」の解説
2010年2月8日朝、バラダルはパキスタン南部カラチ近郊で襲撃を受け逮捕された。米政府関係者は、この逮捕がターリバーンとの戦闘における「ターニングポイント」になると主張した。パキスタンが逮捕を確認したのは1週間以上経ってからであり、パキスタン当局のレフマーン・マリク内相は米パ共同作戦であることを否定した。他の情報筋は、この逮捕は幸運なアクシデントであり、米国から提供された情報に基づいた襲撃で他の人物と一緒に逮捕されたと示唆している。新聞「ドーン」のほか、パキスタンの報道機関でこの話は当初ほとんど無視された。 一部識者はバラダルの逮捕でパキスタンの立場が大きく変わったと見たが、パキスタンが交渉の席につくためにターリバーンとカルザイ政権との交渉をやめさせようとバラダルを逮捕したと主張する識者もいた。ターリバーンとカルザイ政府が合意した場合、パキスタンからアフガニスタンへの影響力を奪う可能性があるからである。 別の見解では、パキスタンのアシュファーク・パルヴェーズ・カヤーニー将軍が、一連のターリバーン幹部逮捕を利用して、11月に予定されていた自身の退任時期を延長しようと目論んでいたとされている。アメリカの政策立案者の間で自身の地位を高め、パキスタン政府に米国から退任を引き止めるよう圧力がかかるという論理である。
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