1994年選挙での勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 20:21 UTC 版)
「ハンガリー社会党」の記事における「1994年選挙での勝利」の解説
1990年選挙に勝利した右派ハンガリー民主フォーラム(以下、民主フォーラム)などの連立政権は、計画経済から市場経済への移行による経済・社会の混乱などで支持を失い、社会党は1994年の総選挙を前に国民の支持を回復した。民主フォーラム連立政権は、ホルン党首が1956年ハンガリー動乱で蜂起した民衆を逮捕する官憲であった過去を強調して社会党の支持増加を阻止しようとしたが、結局1994年の国会選挙で社会党が過半数の議席を得て大勝し、政権に復帰、ホルン党首が首相に就任した。 社会党は、体制転換期は強い反共主義を掲げて青年民主同盟と協力関係にあった、リベラル・社会自由主義政党の自由民主同盟(SZDSZ)に連立を呼びかけ、自由民主同盟が反共主義(反・社会党)に決別して政権参加を受け入れたことで、重要法案の採決を可能とする国会議席の3分の2以上を獲得して、4年間にわたって安定した政権運営を行った。急激な民営化や外資導入には慎重であった前・民主フォーラム政権と異なり、大幅かつ強力な民営化・外資導入を推進したが、その過程では民営化にまつわる与党関係者の巨額収賄事件が相次いで生じ、経済界要人などを狙った爆弾事件が多発するなど治安の更なる悪化を招いた。また膨張した財政赤字の改善のため、ボクロシュ財務相が緊縮政策を行ったが、財政赤字の改善は、皮肉にも後のフィデス=ハンガリー市民党(以下、フィデス)政権時代にも続く安定的経済成長の基礎を作った。
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