1992年のドイツツーリングカー選手権とは? わかりやすく解説

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1992年のドイツツーリングカー選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 16:50 UTC 版)

1992年のドイツツーリングカー選手権
前年: 1991 翌年: 1993

1992年のドイツツーリングカー選手権は、ドイツツーリングカー選手権の9回目のシーズンである。4月5日のゾルダー・サーキットで開幕し、10月11日のホッケンハイムリンクまで全12ラウンド、24戦でタイトルが争われた。

ドライバーズチャンピオンはクラウス・ルドヴィック、マニファクチャラーズチャンピオンはメルセデス・ベンツが獲得した。メルセデスにとって初のDTMタイトルであった。

1992年の参戦チーム・ドライバー

チーム 車両 車番 ドライバー 出場ラウンド
Audi Zentrum Reutlingen (AZR) Audi V8 quattro Evolution 01 フランク・ビエラ 1-6
02 フランク・イエリンスキー 1-6
Schmidt Motorsport Technik (SMS) Audi V8 quattro Evolution 044 ハンス=ヨアヒム・スタック 1-6
045 ヒューベルト・ハウプト 1-5
AMG Mercedes 190E 2.5-16 Evo2 03 クラウス・ルドヴィック 全戦
04 ベルント・シュナイダー 全戦
05 エレン・ローア 全戦
06 ケケ・ロズベルグ 全戦
Fina Motorsport BMW M3 Sport Evolution 07 ジョニー・チェコット 全戦
Bigazzi BMW M3 Sport Evolution 09 エマニュエル・ピロ 全戦
010 スティーブ・ソパー 1-10, 12
022 オリビエ・グルイヤール 11
Mass-Schons Mercedes 190E 2.5-16 Evo2 011 ジャック・ラフィット 全戦
012 ヨルグ・ファン・オーメン 全戦
Schnitzer Motorsport BMW M3 Sport Evolution 014 ヨアヒム・ヴィンケルホック 全戦
015 ロベルト・ラヴァーリア 全戦
016 アルフリート・ヘーガー 全戦
Zakspeed Mercedes 190E 2.5-16 Evo2 017 ローランド・アッシュ 全戦
018 クルト・ティーム 全戦
028 "ジョン・ウィンター" 9-12
Linder BMW M3 Sport Evolution 019 アルミン・ハーネ 全戦
020 ワイン・ガードナー 11-12
Unitron Computer BMW M3 Sport Evolution 021 クリス・ニッセン 1-8
Isert BMW M3 Sport Evolution 021 クリス・ニッセン 10, 12
030 レオポルド・プリンツ・フォン・バイエルン 全戦
Irmscher Motorsport Opel Omega 3000 24V Evo500 026 フォルカー・ストレイチェック 6
BAS Mercedes 190E 2.5-16 Evo2 027 アルミン・ベルンハルト 1-7, 9-12
Ruch Motorsport Ford Mustang GT 033 ゲルト・ルッフ 全戦
034 フレッド・ラケル 1-4, 6-7
066 ユルゲン・ルッフ 8, 12
Valier BMW M3 Sport Evolution 035 アレクサンダー・ブルクシュターラー 9
036 フランツ・エングストラー 全戦
MM Motorsport BMW M3 Sport Evolution 037 トーマス・フォン・ロイス 1-4
038 フリッツ・クロイツポイントナー 全戦
057 トーマス・ヴィンケルホック 5
VAC BMW M3 Sport Evolution 040 ジョセフ・ヴェンク 8
Auto Maass BMW M3 Sport Evolution 042 ハラルド・ベッカー 2-12
Tauber BMW M3 Sport Evolution 046 フランツ・デュフター 7, 9
048 ジークフリート・マイヤー 4-5
Bervid BMW M3 Sport Evolution 049 ヴァクラヴ・ベルビッド 8-12
BMW Schweden BMW M3 Sport Evolution 050 パー・ガンナー・アンダーソン 7, 9
Challenger Ford Mustang GT 051 ユルゲン・フォイヒト 1-2, 4, 9-10, 12
Manthey Racing Mercedes 190E 2.5-16 Evo2 055 オラフ・マンタイ 6, 9-10

1992年の開催スケジュールと勝者

開催日 ラウンド レース サーキット 走行距離 優勝ドライバー 車両
4月5日 1 Bergischer Lowe ゾルダー・サーキット 24 × 4.194 km = 100.656 km
24 × 4.194 km = 100.656 km
クルト・ティーム
クルト・ティーム
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
4月19日 2 Eifelrennen ニュルブルクリンク 22 × 4.542 km = 99.924 km
22 × 4.542 km = 99.924 km
フランク・ビエラ
ローランド・アッシュ
Audi V8 quattro DTM Evolution
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
5月3日 3 Flugplatzrennen Wunstorf ヴンストルフ 22 × 4.542 km = 99.924 km
22 × 4.542 km = 99.924 km
ヨルグ・ファン・オーメン
ケケ・ロズベルグ
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
5月10日 4 AVUS-Rennen アヴス 38 × 2.640 km = 100.032 km
38 × 2.640 km = 100.032 km
スティーブ・ソパー
ベルント・シュナイダー
BMW M3 Sport Evolution
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
5月24日 5 Rennsport-Festival ホッケンハイムリンク 38 × 2.634 km = 100.092 km
38 × 2.634 km = 100.092 km
エレン・ローア
ローランド・アッシュ
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
6月18日 6 24 Stunden Nurnberg ニュルブルクリンク 4 × 25.300 km = 101.200 km
4 × 25.300 km = 101.200 km
クラウス・ルドヴィック
クラウス・ルドヴィック
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
6月28日 7 200 Meilen von Nurnberg ノリスリンク 41 × 2.300 km = 94.300 km
44 × 2.300 km = 101.200 km
ヨアヒム・ヴィンケルホック
スティーブ・ソパー
BMW M3 Sport Evolution
BMW M3 Sport Evolution
7月12日 8 Grand Prix Brno ブルノ・サーキット 19 × 5.394 km = 102,486 km
16 × 5.394 km = 86.304 km
ジョニー・チェコット
ジョニー・チェコット
BMW M3 Sport Evolution
BMW M3 Sport Evolution
8月16日 9 Flugplatzrennen Diepholz ディープホルツ 37 × 2.720 km = 100.640 km
37 × 2.720 km = 100.640 km
クラウス・ルドヴィック
クラウス・ルドヴィック
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
9月6日 10 ADAC-Preis Singen アレマンネンリンク 36 × 2.800 km = 100.800 km
36 × 2.800 km = 100.800 km
ベルント・シュナイダー
ベルント・シュナイダー
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
9月20日 11 Groser Preis der Tourenwagen ニュルブルクリンク 34 × 3.029 km = 102.986 km
34 × 3.029 km = 102.986 km
ベルント・シュナイダー
クラウス・ルドヴィック
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evo2
10月11日 12 DMV-Preis Hockenheim ホッケンハイムリンク 15 × 6.185 km = 102.570 km
15 × 6.185 km = 102.570 km
ロベルト・ラヴァーリア
ロベルト・ラヴァーリア
BMW M3 Sport Evolution
BMW M3 Sport Evolution

レース結果とランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ

上位25名がポイントを獲得した。1位から10位まで順に 20 - 15 - 12 - 10 - 8 - 6 - 4 - 3 - 2 - 1ポイントが与えられた。

順位 ドライバー ZOL
NUR
WUN
AVU
HOC
NORD
NOR
BRU
DIE
SIN
NUR2
HOC2
ポイント
1 クラウス・ルドヴィック 2 11 7 5 2 3 4 7 Ret 2 1 1 8 12 Ret 4 1 1 Ret 4 4 1 3 Ret 228
2 クルト・ティーム 1 1 4 2 3 5 7 21 Ret 4 5 5 Ret 9 Ret Ret 4 3 2 2 5 Ret 2 Ret 192
3 ベルント・シュナイダー 5 Ret 10 Ret 7 4 3 1 2 Ret 4 4 Ret 4 7 Ret 2 Ret 1 1 1 3 Ret Ret 191
4 ジョニー・チェコット 12 Ret 6 Ret 5 Ret 2 6 9 8 2 2 7 7 1 1 5 5 4 12 3 4 7 2 185
5 ケケ・ロズベルグ 11 Ret 17 8 4 1 12 15 3 Ret 3 3 Ret 18 Ret 2 3 2 Ret 6 2 2 Ret DNS 147
6 ローランド・アッシュ 7 2 5 1 6 Ret Ret 11 5 1 7 6 2 5 5 5 12 10 Ret 11 9 7 6 Ret 143
7 ロベルト・ラヴァーリア 8 4 11 6 19 17 15 Ret 6 3 8 7 5 3 2 3 8 Ret Ret Ret Ret Ret 1 1 134
8 ヨアヒム・ヴィンケルホック Ret 9 9 4 10 Ret 5 Ret 11 7 12 11 1 2 Ret 6 6 9 Ret Ret 7 5 4 3 110
9 スティーブ・ソパー 4 13 Ret 7 23 Ret 1 9 4 5 6 8 4 1 Ret Ret Ret 7 5 7 19 Ret 109
10 ヨルグ・ファン・オーメン 10 5 20 9 1 2 11 5 20 9 10 12 9 10 4 Ret 10 11 3 3 10 9 5 Ret 106
11 エレン・ロール 13 15 19 Ret Ret 9 8 2 1 Ret 13 13 3 6 Ret 7 7 4 8 5 6 6 Ret 6 105
12 エマニュエル・ピロ 6 3 14 3 Ret 16 23 3 10 Ret 21 10 6 8 3 Ret Ret Ret 6 10 Ret 8 9 5 85
13 ジャック・ラフィット 9 14 18 10 8 6 9 4 7 6 11 9 11 11 Ret 13 18 8 10 8 Ret Ret Ret DNS 43
14 アルフリート・ヘーガー Ret 7 8 13 13 8 14 Ret 8 Ret 9 22 10 Ret 8 9 9 6 11 9 8 10 8 Ret 38
15 フランク・ビエラ 3 Ret 1 18 DSQ DSQ Ret 8 21 14 14 15 35
16 フランツ・エングストラー 17 8 15 Ret 14 10 Ret 10 Ret Ret 22 Ret 13 Ret 6 8 13 12 9 Ret 15 11 11 4 26
17 クリス・ニッセン 14 6 13 17 9 7 13 Ret 14 10 Ret DNS 12 13 9 11 7 13 10 7 24
18 ハンス=ヨアヒム・スタック Ret Ret 2 12 11 Ret 6 Ret 19 Ret 23 Ret 21
19 フランク・イェリンスキー 15 Ret 3 11 12 13 Ret DNS Ret 12 Ret Ret 12
20 ハラルド・ベッカー 21 20 17 15 19 13 15 Ret 17 18 17 16 Ret DNS 21 Ret 12 Ret 16 16 Ret 8 3
21 アルミン・ベルンハルト Ret DNS 24 Ret 16 12 21 16 16 Ret 18 20 16 Ret 20 14 Ret 14 19 15 14 9 2
アルミン・ハーネ Ret 10 16 15 18 Ret 16 Ret 12 Ret Ret 16 14 Ret Ret 10 11 Ret 13 Ret 12 12 12 Ret 2
23 ゲルト・ルッフ 21 DNS Ret Ret 22 Ret 22 20 17 16 20 DNS 20 Ret 11 Ret 19 Ret 15 Ret 17 Ret Ret 10 1
ヒューベルト・ハウプト 16 Ret 12 14 15 Ret 10 Ret Ret DNS 1
レオポルド・プリンツ・フォン・バイエルン 18 Ret 25 Ret 20 14 18 14 Ret 13 16 17 Ret 15 10 14 Ret Ret Ret DNS 13 14 15 Ret 1
26 フリッツ・クロイツポイントナー 19 12 22 16 21 11 17 12 13 11 Ret 19 15 Ret 14 12 14 Ret Ret DNS Ret DNS 13 11 0
オリビエ・グルイヤール 11 13 0
ジョセフ・ヴェンク 12 16 0
オラフ・マンタイ 15 14 15 13 DNS DNS 0
ヴァクラヴ・ベルビッド 13 15 Ret 18 Ret DNS 18 Ret Ret Ret 0
"ジョン・ウィンター" 17 17 14 15 Ret DNS 17 Ret 0
ワイン・ガードナー 14 Ret 16 Ret 0
パー・ガンナー・アンダーソン 19 14 Ret Ret 0
フランツ・デュフター 18 17 16 15 0
ジークフリート・マイヤー 24 18 18 15 0
アレクサンダー・ブルクシュターラー Ret 16 0
フレッド・ラケル 20 Ret 26 Ret DNS DNS Ret 17 19 21 Ret Ret 0
ユルゲン・ルッフ Ret DNS 18 Ret 0
トーマス・フォン・ロイス Ret DNS 23 19 Ret DNS 20 19 0
ユルゲン・フォイヒト Ret Ret Ret DNS Ret DNS Ret Ret Ret DNS Ret DNS 0
フォルカー・ストレイチェック DNS DNS 0
トーマス・ヴィンケルホック DNS DNS 0
順位 ドライバー ZOL
NUR
WUN
AVU
HOC
NORD
NOR
BRU
DIE
SIN
NUR2
HOC2
ポイント

マニファクチャラー・チャンピオンシップ

順位 マニファクチャラー ポイント
1 メルセデス・ベンツ 413
2 BMW 308
3 アウディ 41

各ワークスの動向

  • アウディ

1992年のDTMにアウディはSMS、AZRの2チームから4台のクワトロをエントリーさせた。最低重量は2年連続のドライバー・タイトルの獲得により1300kgとされた。これにより戦績が低迷したため、6月になって最低重量は1250kgに緩和された。アウディは1992年仕様のクワトロのエンジンに新設計のクランクシャフトを組み込んでいたが、シーズン中盤になってDTMのレギュレーションを統括するONS(ナショナル・モータースポーツ協会)に違反とされたため、アウディはシーズン途中でDTMから撤退することになった[1]。優勝も4WD車が得意とする雨の中開催された第2戦・ニュルブルクリンクの第1レースでフランク・ビエラが挙げた1勝のみに終わった。

  • メルセデス・ベンツ

1992年のDTMにメルセデス・ベンツはAMG、MS、ザクスピードから8台の190E2.5-16エボリューションIIをエントリーさせた。前年までメルセデス陣営の一角として活躍していたスノーベックはフランス・ツーリングカー選手権に活躍の場を移した。AMGは前年から残留のクラウス・ルドヴィック、エレン・ロールに加えて1982年F1チャンピオンのケケ・ロズベルグ、元F1ドライバーのベルント・シュナイダーを加入させドライバー・ラインナップを充実させた。クルト・ティームはAMGからザクスピードに移籍した。

メルセデスはオフシーズンのマシンの改良が奏功し、全24レース中16レースを制した。ドライバー・タイトルはAMGのルドヴィックとザクスピードのティームの争いとなったが、メルセデスがルドヴィックにタイトルを獲らせるようチームオーダーを出したことでルドヴィックの1988年以来のタイトル獲得が決まった[2]。メルセデスはドライバー・タイトル以外にマニュファクチャラー、チーム(AMG)の両タイトルも獲得した。

AMGの女性ドライバー、エレン・ロールが第5戦・ホッケンハイムの第1レースで女性ドライバーとして初優勝を記録した。

  • BMW

1992年のDTMにBMWはシュニッツァー、FINA、ビガッツィの3チームから6台のM3をエントリーさせた。BMWは体制を縮小させ、リンダ―にはワークスマシンが供給されなくなったが、アルミン・ハーネ、クリス・ニッセンにはワークスからのサポートが行われた。FINAはジョニー・チェコットがスポンサーのFINAと結成した新チームでチェコットのみの1台エントリーで参戦した。エースドライバーのチェコットを失ったシュニッツァーは1989年のDTMチャンピオンで、1990、1991年のイタリア・ツーリングカー選手権チャンピオンのロベルト・ラヴァーリアをDTMに復帰させた。

1992年仕様のM3はメルセデスに対して競争力が劣っていたため、ONSはシーズン中盤になってM3の空力モディファイを認める決定をした[3]。この決定によって競争力の回復したM3は第7戦・ノリスリンク、第8戦・ブルノで4連勝を記録したがメルセデスの優位が覆ることはなかった。

BMW勢の最上位はFINAのジョニー・チェコットで新チーム、タイヤ銘柄の変更(1991年のヨコハマからミシュランに変更)と環境が変化した中で、2勝を挙げ、ランキング4位に入った。

  • オペル

1992年のDTMにオペルは、クラス1仕様のカリブラの開発のためワークスチームを参加させず、エッゲンバーガー、イルムシャー、シューベルの各チームに対して技術、資金のサポートを行った。

スパ24時間、マカオ・ギアレース

1991年はDTM規定車の参戦が認められなかったスパ・フランコルシャン24時間レースだが、1992年は再び参戦が認められ、BMWのシュニッツァー、ビガッツィ、イタリアのシビエムの3チームから5台のM3をエントリーさせた。レースは前年優勝した日産スカイラインGT-Rとの戦いとなった。スカイラインGT-Rは1991年より90kg重い1350kgの最低重量が課せられたが、最低重量980kgのM3よりもパワー、スピードとも優り、BMW勢は燃費の良さと信頼性を武器に戦ったがレースではスカイラインGT-Rに対して徐々に差を広げられていった。だがスカイラインGT-RはECUのトラブルで6位にまで後退した後、給油時に火災を起こして撤退し優勝争いはシュニッツァー、ビガッツィの2チームによって争われることになった。

レースはシュニッツァーのエリック・ヴァン・デ・ポール組と、2位のビガッツィのスティーブ・ソーパー組が同一周回で最終盤を迎えた。シュニッツァーは最終スティントでピットストップをせずヴァン・デ・ポールに最後まで走らせることにした。一方ビガッツィはピットストップを行い、タイヤ交換、燃料補給をし、ドライバーもソーパーに交替させて万全の状態でマシンを送り出した。ソーパーは激しく追撃し、ヴァン・デ・ポールをラストラップに抜き去り0秒48差で逆転優勝した[4]

メルセデスとBMWは1991年に続いてマカオグランプリのギア・レースに出場した。メルセデス/AMGは クラウス・ルドヴィックベルント・シュナイダーエレン・ロールケケ・ロズベルグの代役として地元ドライバー、二・アモリムの4台。BMW/シュニッツァーはロベルト・ラヴァーリアエマニュエル・ピロヨアヒム・ヴィンケルホックの3台の他に地元ドライバーにもマシンをレンタルした。

前年、DTM勢に惨敗を喫した長谷見昌弘のスカイラインGT-Rは1991年より50kg重量を軽減され予選タイムを前年より2秒詰めることに成功したが、DTM勢はメルセデスのシュナイダーが,前年ピロが出したポールポジションタイムを5秒近くも縮めてポールポジションを獲得しDTM勢の優位が揺らぐことはなかった[5]

レースはメルセデス勢がアクシデントで崩れ、BMWがピロ、ヴィンケルホック、ラヴァーリアの順で1-2-3フィニッシュを決め、ピロは2年連続でギア・レースを制した。

ニュルブルクリンク24時間レースではDTMクラスから出場したBMWのジョニー・チェコット組が優勝した。

脚注

  1. ^ Racing On」 No.125、p.36、ニューズ出版、1992年。
  2. ^ 「Racing On」 No.136,p.79。
  3. ^ 「Racing On」 No.136,p.81。
  4. ^ 「Racing On」 No.128、p.134、ニューズ出版、1992年。
  5. ^ 「Racing On」 No.135、p.28、ニューズ出版、1993年。

参考文献

  • 『'92ドイツ・ツーリングカー選手権プレビュー』、「Racing On」 No.120、武集書房、1992年。
  • 『'92ドイツ・ツーリングカー選手権レビュー』、「Racing On」 No.136、ニューズ出版、1993年。

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