1973年 - 1982年のパ・リーグ
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「プレーオフ制度 (日本プロ野球)」の記事における「1973年 - 1982年のパ・リーグ」の解説
人気低下などプロ野球再編問題に伴い、前期・後期の2シーズン制を導入。前期と後期の優勝チームが異なる場合にプレーオフが実施された。 年間26回総当り(同130試合)を前・後期各13回ずつ(65試合)に区切り、それぞれのステージ優勝を決める。前期と後期でステージ優勝チームが異なる場合、5戦3勝制による優勝決定戦を開催した(同一チーム完全優勝の場合は施行せず)。ホームゲームに関しては、第1・2戦は前期1位チーム、第3-5戦は後期1位チームのそれぞれのホームスタジアムで行った。年間順位はプレーオフの勝者が1位で、2位以下は前後期通算の勝率順とした。このため、プレーオフに負けたチームがプレーオフに出場しなかったチームの前後期通算勝率を下回り、年間順位が3位になったこともあった(77年及び81年のロッテ)。また同制度初年度73年の南海(前期優勝)は前後期通算勝率では3位であるが、リーグ優勝である。 なお、個人賞に関しては前後期130試合の成績のみで決定し、プレーオフでの成績は加算されない。(2004-2006年の上位3強順位決定戦、及びそれを発展させた2007年以後のクライマックスシリーズの方式も同様) これにより、年間最高勝率であるがプレーオフに敗退し日本シリーズに出場できなかったケースが1973年阪急、1975年近鉄、1979年阪急、1982年日本ハムの4回発生している。なお、年間最高勝率でありながらプレーオフ進出すらできなかったケースは発生していない。
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