1973年の全日本ロードレース選手権とは? わかりやすく解説

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1973年の全日本ロードレース選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 18:08 UTC 版)

1973年の全日本ロードレース選手権
前年: 1972 翌年: 1974

1973年の全日本ロードレース選手権 (1973ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1973年4月15日筑波ロードレース大会で開幕し[1]、同年10月21日日本グランプリロードレース大会鈴鹿)で閉幕した全6戦による1973年シーズンの全日本ロードレース選手権である。

最大排気量のセニア750ccクラスチャンピオンは根本健が獲得した[2]

1973年シーズン

セニア (S) とエキスパート・ジュニア (EJ) は開催される排気量クラスが変更となり、これまで251cc以上クラスとして開催されていた最高排気量クラスは今年度より「750ccクラス」とされた。ここにポイント対象外のフォーミュラリブレ部門(FL / 改造自由)が混走する開催型式となった。

加えて、これまで251cc以上、250cc、125ccと3クラスに分かれていたものを750ccクラス (126cc以上から750cc)と125ccクラスの2つに絞り、750ccクラスにFLが混走する。なお、FLはセニアライセンス選手のみ出場が可能である。フォーミュラリブレ以外の車両はすべてMFJ公認車両でなければならない。また、公認車であっても製造中止から4年を経過した車種は全日本選手権に出走できない。FLは改造自由であり重量の規定もないが、チタン合金を素材に使用した部品の使用は認められない[3]

ノービス・ジュニア部門では大排気量クラスが廃止された。これは競技人口増加に比例してビギナー人口が増加し、大排気量ではそのエンジン出力の大きさから事故の規模も大きくなるため、初心者部門の入門者を事故から守るのが主旨と説明された[4]

開催時の基本レース形態

  • ノービスは90cc/125cc/250ccの3クラス、ジュニアが90/125/250/350の4クラス、エキスパート・ジュニアとセニア(FL)は125ccと750ccの2クラス。
  • 750ccクラスはセニアとエキスパート・ジュニア混走、ライセンス区分別で選手権ポイント付与。ここに賞典外のFLも混走する。
  • 125ccクラスはセニアとエキスパート・ジュニアの混走、ライセンス区分別で選手権ポイント付与。
  • ジュニア250ccと350ccは混走レース、クラス別に選手権ポイント付与。
  • ジュニア90ccと125ccは混走レース、クラス別に選手権ポイント付与。

全日本選手権には含まれなかったが、開幕戦に先立つ3月4日に国内初の試みとなる「2輪と4輪レースの共催」で『鈴鹿ビッグモーターサイクルレース』が開催され、セニア並びにエキスパートジュニアクラスのライダーとフォーミュラリブレ(FL)のビッグマシンが参戦。後年の鈴鹿ビッグ2&4レースの元となる大会として、オートバイレースのメジャーイベント化が推進された[5]。この大会のレース中にはセニア1年生阿部孝夫(スズキ)が2分29秒3のタイムを記録。前年の隅谷守男和田正宏金谷秀夫に続き4人目の「鈴鹿2分30秒の壁」を突破した日本人選手となった。

開幕戦の舞台は初めて筑波サーキットとなった[6]。メインの750ccクラス決勝は雨足の強い中スタートが切られ、EJの片山敬済(神戸木の実R)がPPスタートから独走で優勝。このレースでは1位から7位までをEJ勢が占めるという開幕となった[7]。第2戦鈴鹿では、デイトナ200マイルレース出場のため開幕を欠場した和田正宏、隅谷守男、小田豊のトップライダー3名が帰国参戦し、真の開幕という空気に包まれた中、決勝では和田と隅谷の激しいバトルとなった。S字区間で隅谷が先行、コース後半で和田が抜いてホームストレートに帰ってくるという展開が繰り返され、和田が首位で最終ラップ第1コーナーに進入。S字区間で隅谷が和田と周回遅れをパスすることに成功した直後のダンロップブリッジ下コーナーで和田が転倒。隅谷がトップでチェッカーを受け、2位の小田、3位にEJの片山が入り、2万5000人の観衆は大いに沸いた[8]

しかしこの大会で総合2位(750クラス1位)に入った小田(プレイメイト・レーシング)は第3戦終了後、間瀬サーキットでのレース中に事故で亡くなるという不幸があった[9]。このため、プレイメイトRTの同僚・高井幾次郎と大脇俊夫は750ccクラスチャンピオンを狙える位置(ランキング2位大脇、3位高井)に居ながら、以後のシーズン後半を欠場し喪に服した[10]

最終戦日本GPも強い雨の中開催となり、メインレースの750ccクラスでは、前日予選で2分25秒0という新レコードタイムを記録しPPを獲得していた和田正宏(カワサキ)の転倒、隅谷守男(ホンダ)のリタイヤなどFLマシンに乗るセニアトップライダーが姿を消して行く中で、350ccで参戦するEJの片山敬済が2位に16秒の大差をつけ独走優勝で制すという開幕戦で見た光景が再現された。ビッグイベントである日本グランプリ大会で下級ライセンスの選手が上級選手を破っての総合優勝は、1970年の糟野雅治以来の快挙であった。なお、このレースで総合3位に入った毛利良一もEJ選手であり、若手の活躍でシーズンは締められた[11]

セニア125ccクラスはホンダの角谷新二が27ポイント獲得のランキングトップで最終戦を終えたが、MFJ競技規定では「獲得ポイントが30点未満の場合チャンピオンとせず、ランキング2位とする。」という規定があり[12]、この年のセニア125ccクラスはチャンピオン該当者なし(角谷はランキング2位と認定され、以下の順位も1つ繰り下げ)で終了した。

スケジュールおよび勝者

Rd. 決勝日 開催イベント フォーミュラリブレ優勝 750cc 優勝 125cc 優勝
1 4月15日 全日本選手権 筑波ロードレース大会 片山敬済 (EJ) 青木辰己
2 4月29日 全日本選手権 鈴鹿ロードレース大会 隅谷守男 小田豊 角谷新二
3 6月3日 全日本選手権 鈴鹿ロードレース大会 高井幾次郎 伊波朝夫
4 7月22日 全日本選手権 鈴鹿耐久レース大会 安良岡健阿部孝夫 根本健浅見貞男*
5 10月7日 全日本選手権 筑波ロードレース大会 根本健
6 10月21日 日本グランプリロードレース大会(鈴鹿) 阿部孝夫* 片山敬済 (EJ) 角谷新二
チャンピオン ※非選手権※ 根本健 該当者なし**
  • 混走のフォーミュラ・リブレ(FL) ポイント対象外
  • *印の優勝者はレースの総合優勝者ではなくクラス優勝者
  • **セニア125ccクラスはチャンピオン該当者なしとして終了した(ランキング表の1位は空欄、2位から順に記載)[12]

表彰

  • MFJ最優秀選手[13]
    • セニア部門: 根本健(フライング・ドルフィン)
    • エキスパートジュニア部門: 毛利良一(神戸木の実レーシング)

ポイントランキング

ポイントシステム:
順位 1位 2位 3位 4位 5位 6位
ポイント 15 12 10 8 6 5
  • MFJ主催で行われる日本GPでは、ボーナスポイントとして入賞者に従来のポイントに加えて3ポイントが与えられる。
  • 全6戦のうち上位4戦分の獲得ポイント数で争われる有効ポイント制
  • 最終戦終了後に有効獲得ポイント1位であっても、そのポイント数が30点未満の者はチャンピオンと認定されずランキング2位となり、以下の順位も繰り下げされる[14]

750cc

順位 No. ライダー 使用車両 1
TSU
2
SUZ
3
SUZ
4
SUZ
5
TSU
6
SUZ
ポイント
1 32 根本健 ヤマハ 2 9 4 2 1 12 51 (67)
2 11 浅見貞男 ヤマハ 4 5 2 3 31
3 16 伊波朝夫 7 4 25
4 33 内田隆 2 6 25
5 26 里村祥二 6 2 23
6 14 大脇俊夫 ヤマハ 4 3 - - 22
7 8 高井幾次郎 ヤマハ 8 1 - - 21
8 18 福井才二 5 9 17
9 9 小田豊 ヤマハ - 2 - - - 15
選手権対象外
- 29 阿部孝夫 スズキ・TR500 II 1 8 -
- 1 隅谷守男 ホンダ・CB650 - 1 - Ret -
- 15 安良岡健 スズキ・TR500 II 1 -
- 2 和田正宏 カワサキ・H2R - Ret - Ret -

125cc

ジュニア区分

ライセンス クラス チャンピオン マシン チーム
エキスパート・ジュニア 750cc 片山敬済 ヤマハ 神戸木の実レーシングチーム
125cc 毛利良一 ヤマハ 神戸木の実レーシングチーム
ジュニア 350cc 佐藤順造 オートルーキーRC
250cc 山崎達衛 チーム東希和
125cc 坂公平 鈴鹿レーシングチーム
90cc 新田茂 神戸木の実レーシングチーム
ノービス 250cc 橋本久仁啓 レディバードレーシング
125cc 松山守 鈴鹿レーシングチーム
90cc 杉野順三 浜寺レーシング

関連項目

脚注

  1. ^ 「'73MFJスポーツカレンダー」『ライディング No.62』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年2月25日、10-22頁。
  2. ^ 歴代チャンピオン1973 MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会 (2025年4月20日閲覧)
  3. ^ 「全日本選手権レース・スケジュール FL部門はセニアに限られる」『ライディング No.61』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年2月1日、12-13頁。
  4. ^ 「開催種目」『ライディング No.61』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年2月1日、12頁。
  5. ^ 「新鋭の台頭急なロードレース部門 '73ビッグモーターサイクルレース」『ライディング No.63』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年4月15日、12-13頁。
  6. ^ 「'73全日本選手権ロードレース」『ライディング No.62』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年2月25日、13頁。
  7. ^ 「'73全日本選手権第1戦筑波ロードレース大会」『ライディング No.64』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年5月25日、5-8頁。
  8. ^ 「'73全日本選手権第2戦鈴鹿ロードレース ついに2分26秒台突入」『ライディング No.64』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年5月25日、10-11頁。
  9. ^ 「Rider Album 日本のレーシングモーターサイクル栄光の歩み」『モーターサイクリスト』12月号増刊、八重洲出版、1988年12月15日、272頁。
  10. ^ 「'74MFJ最優秀選手 高井幾次郎経歴」『ライディング No.74』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1975年1月1日、7頁。
  11. ^ 「'73全日本選手権第6戦日本グランプリ EJ/S/FL750片山敬済堂々の優勝」『ライディング No.68』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1973年11月25日、16-17頁。
  12. ^ a b 「全日本選手権 得点計算と順位決定」『ライディング No.43』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1970年3月1日、21頁。
  13. ^ 「'73MFJ全日本選手権ランキング認定表彰式・12月8日 東京ヒルトンホテル」『ライディング No.69』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1974年2月25日、44-45頁。
  14. ^ 「全日本選手権ランキング順位決定の方法」『ライディング No.74』MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会、1975年1月1日、7頁。



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