1968〜1987年 バラエティ期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 02:10 UTC 版)
「浜口哲夫」の記事における「1968〜1987年 バラエティ期」の解説
1968年フジテレビ入社。同期入社に、ニッポン放送会長の重村一、クオラス会長の須賀勝彌、プロデューサーの疋田拓、アナウンサーの逸見政孝らがいる。報道局勤務を志望していたが、編成局制作室第2演出部(バラエティ番組制作)に配属される。 入社直後より、「スター千一夜」「ズバリ!当てましょう」「コント55号の世界は笑う」「お昼のゴールデンショー」などフジの数々のバラエティ番組のADを務める。「芸能人オールスター夢の球宴」「芸能人オールスターゴルフ大会」などを企画・実現させて、入社4年目にはPD(プログラムディレクター)を任されるようになり、その後20年にわたってバラエティ番組やイベントの演出・制作に従事した。 浜口の代表作と自他共に認めるのが「オールスター家族対抗歌合戦」である。萩本欽一を司会に起用して1972年に始まった番組で、浜口は当初AD、1975年から1986年の番組終了まではディレクター兼プロデューサーとして、全699回の制作を手がけた。同番組は視聴率激戦帯の日曜夜8時で足かけ15年の長寿番組となり、699回の総平均視聴率17.4%を記録した。 数々のバラエティ番組を制作するほか、イベント制作では、フジサンケイグループ鹿内春雄議長就任パーティー、「夢工場」の記者発表、大相撲海外公演(1985年ニューヨーク・1986年パリ)の演出・進行などを手がけた。
※この「1968〜1987年 バラエティ期」の解説は、「浜口哲夫」の解説の一部です。
「1968〜1987年 バラエティ期」を含む「浜口哲夫」の記事については、「浜口哲夫」の概要を参照ください。
- 1968〜1987年 バラエティ期のページへのリンク