190年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 10:22 UTC 版)
詳細は「190年代」を参照 191年 - 陽人の戦いで反董卓連合軍が董卓に勝利、董卓は洛陽から長安に遷都。 192年董卓が王允と結んだ呂布に殺される。董卓の配下であった郭汜・李傕らが長安を奪取し王允を殺害。 後漢の支配下にあった日南郡の区連が蜂起し、独立して林邑(チャンパ王国)を建国。 ローマ皇帝コンモドゥスが暗殺され、アントニヌス朝は断絶。 193年 - 内戦からローマで五皇帝が乱立(五皇帝の年)。この内戦を鎮圧したセプティミウス・セウェルス帝が即位しセウェルス朝が成立。 セウェルス帝は属州アフリカのレプティス・マグナ出身で、皇帝になると同時にこの都市の大開発を行う。 196年後漢の献帝が洛陽に帰還、さらに曹操の庇護を受け許に遷都する。曹操が韓浩・棗祗らの提言に従って屯田制を導入する。 セウェルス帝が反対派についたビュザンティオンを征服し破壊する。 199年ローマでカリストゥスのカタコンベ(英語版)が造営される。助祭カリストゥス(後にローマ教皇)がアッピア街道沿いに作らせたもので歴代教皇の墓がある。
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