1859年ベルリオーズ版
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「オルフェオとエウリディーチェ」の記事における「1859年ベルリオーズ版」の解説
1859年にリリック座(フランス語版)のレオン・カルヴァロ(英語版)の要請に応えてベルリオーズは独自のヴァージョンを作成した。当時のスター歌手ポーリーヌ・ヴィアルドのために書き直すことであった。彼女は広くソプラノも扱えたが、基本はコントラルトだったので、彼女が歌いやすく、魅力を最大限に発揮できるように様々な手直しをしたのである。なお、当時のフランスにおいてはカストラートはほとんど完全に姿を消しつつある状態だったという背景もある。「オルフェの声域はイタリア語稿に戻され、イタリア語稿とフランス語稿で最良と思われる部分が組み合わされた。ベルリオーズは基本的にはフランス語稿に従っているが、このオペラを4幕に再構成し、音楽的あるいは劇的に勝っていると考えられた箇所のみ、イタリア語稿から採用された。「ベルリオーズが行った大きな変更としては最後の合唱を『エコーとナルシス(英語版)』の最後の合唱に差し替えたことが挙げられる。ベルリオーズによれば、『エコーとナルシス』の合唱は愛の神の仲立ちによってもたらされた幸福な結末を賛美するもので、本作と似ているものだった」。ベルリオーズ版は「非常な成功を収め、初演に続く4年間で138回の上演が行われた」。今日でもベルリオーズ版のオルフェはメゾソプラノにとって憧れの役のひとつとなっている。なお、前年の1858年にはオッフェンバックが本作をパロディ化した『地獄のオルフェ』(Orphée aux Enfers)を上演して、話題を集めていた。『新グローヴ・オペラ事典』では「ベルリオーズ版は最も有名で優れているが、数ある混合版のひとつにすぎなかった。しかし、1870年代以降最も頻繁に上演されているのは、ベルリオーズ稿に手直しを施したもので、-中略-この中のイタリア語稿で人気があったのは1889年に出版されたリコルディ社のものであった」。また、「現在、最もよく知られ、また最も頻繁に上演されるヴァージョンはベルリオーズによる混合版に基づいている。しかしながら、イタリア語版ではカウンターテナーに委ねることができ、フランス語版ではハイテノールは少ないものの、楽譜を全音下に移調することは可能である。この様な方法を用いればグルックの原曲にできる限り近づけるわけである」と解説している。
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