1515年スペインの情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)
「フェルディナンド・マゼラン」の記事における「1515年スペインの情勢」の解説
マゼランがポルトガル宮廷を去った当時のスペインはすでに西回り航路の開拓に重大な関心を持ち、幾多の艦隊を西回りでのアジア航路の開拓の為に派遣していた。ポルトガルが喜望峰まわり(東回り)のインド航路を固めて大きな利益を上げていたのに比べ、東洋貿易の拠点を持たなかったスペインが西回り航路に寄せる期待は大きかった。西回りでのアジア航路開拓は決してマゼランが最初に思いついたわけではなく、1492年のコロンブスの航海がスペインの支援の下に行われたように、マゼランの初航海以前からのスペインの国家的関心事であったとも言える。コロンブス自身が最後まで自分がたどり着いたアメリカをアジアの一部だと思い込んでいたように、西回りでアジアに到達できるということはすでに既定のこととされていた。当時はアメリカは東アジア東端の大半島だと思われていた。しかし、東アジア東端の大半島から、インドあるいは香料諸島へ繋がる海峡は幾多の探検隊も発見することができないままであった。マゼランがポルトガル王宮を去ったのと同じ1515年、スペイン王フェルナンドはフアン・ディアス・デ・ソリスの探検隊を南アメリカに派遣、ソリスはアルゼンチンのラ・プラタ川河口までたどり着いている。
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