11435型と11434-2型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:37 UTC 版)
「アドミラル・クズネツォフ (空母)」の記事における「11435型と11434-2型」の解説
1153型の計画中止を受けて、ゴルシコフ総司令官は、1143型の発展型として11435型の開発をネブスコエ設計局に指令した。作業はエフィモフ次長のもとで進められたが、上記のような政治的経緯を反映した結果、STOVLとCATOBARを同時に行うという特異な設計となった。1978年に採択された設計案では、カタパルト2基によってMiG-29KおよびSu-25Kの運用が可能であり、艦載機42機とされていた。しかしその後も、ウスチノフ国防相はCATOBAR空母に反対する態度を採り続けており、またゴルシコフ総司令官が技術要求を度々変更したことから、設計は難航し、主任設計官も、エフィモフからモリンへ、そして最終的には設計局長に昇進していたアニキエフへと変遷した。 1979年11月、ゴルシコフ総司令官は技術案を承認したものの、同時に艦上戦闘機を大型のSu-27Kに変更するとともに搭載機数も52機に増やすよう指示したため、排水量は65,000トンに増大した。これに対し、安価な商船構造のヘリ空母を支持する海軍担当次長アメリコ大将を中心として、軍参謀本部は反対を表明した。これを受けてウスチノフ国防相は、排水量削減のため、カタパルトを削除してV/STOL機を主力とするように指示した。しかしこれを反映した設計では、当初案と比して戦闘力が30パーセントも減じていることが問題視されてこちらも承認されず、ネブスコエ設計局は技術案作成に難渋することとなった。 一方、当時は、1143型重航空巡洋艦を発展させた11434型として「バクー」の建造が進められており、そしてこれを更に発展させた11434-2型の設計も承認されたところだった。これは11434型よりも更に1万トン程度大型化するとともに航空運用能力も強化されており、11435型に近い規模となっていた。このことから、11435型の計画は11434-2型に合流することになり、所定の設計変更が加えられた建造計画は1982年5月に承認され、建造計画名は11435型に変更された。これによって建造されたのが本艦である。
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