麦酒醸造所の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 03:35 UTC 版)
その頃、開拓使では、ドイツでビール製造技術を習得した中川清兵衛を雇い、北海道に自生していたホップを原料としたビールの醸造所を東京官園一号地(現在の青山学院大学周辺にあった)に建設することを計画。東京官園で試験的にビールを醸造し、成功の後、北海道に醸造所を造る方針であった。これに対し、村橋は、北海道のほうがビール造りに気候が適しており、かつ麦酒醸造所は北海道の産業振興が目的であることなどを挙げ、最初から北海道に建設すべきであると主張した。この意見が通り、札幌に麦酒醸造所が建設されることとなった。 明治9年5月、麦酒醸造所のほか、葡萄酒醸造所と製糸所を建設するため、職人らとともに札幌へ出発する。麦酒醸造所と葡萄酒醸造所を札幌の創成川の東、現在、サッポロファクトリーがあるところに建設、同年9月に完成させた。 10月には東京に戻り、ビールの受け入れ側に回る。翌年夏、「冷製札幌麦酒」と名付けられたビールが出来上がり、東京に運ばれて好評を得た。
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