鹿児島市との境界変更とは? わかりやすく解説

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鹿児島市との境界変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 07:51 UTC 版)

西武田村」の記事における「鹿児島市との境界変更」の解説

1911年明治44年)になり、府県制における鹿児島県の議決機関であった鹿児島県参事会は、西武田村のうち鹿児島市との飛地となっている天保山八幡田圃及び、武の大半鹿児島市編入することを決定した。これに対して西武田村土地肥えた水田が多い地域であった前述区域鹿児島市編入されることは死活問題であるとして大い反対し、熊本県における市郡の関係を調査したほか、当時内務大臣であった原敬に対して請願を行うなど編入防止努めた。 しかし、反対運動甲斐もなく同年8月4日鹿児島県公報掲載された「 市村境界変更」(明治44年鹿児島県告示400号)により、同年9月30日を以て大字武のうち、小字大坪森田一町田、溝添、前田西牟田下小田崎、永田上小田崎、榎田冷水、小汐手、小丸、南牟田二枝三枝、浮牟田番田島廻、堀之口、川ノ口、堤内一貫地、塚濱入物田、汐入天保山四ツ之口、濱田大水町、宮田八反田上山田栗木田中福羅、城本砂走大鍋、福廻が隣接する鹿児島市編入された。これにより、鹿児島市挟んだ飛地となっていた通称八幡田圃」(現在の鹿児島市立甲南中学校付近)にあたる小字川ノ口、堤内一貫地、塚濱入物田、汐入四ツ之口、濱田区域高麗町編入され通称天保山」(現在の天保山町の北半分)の区域にあたる小字天保山区域下荒田町それぞれ編入され、また鹿児島市編入され大字武のその他の区域を以て新たに鹿児島市の町として武町設置された。また、同時に鹿児島市大字荒田のうち城ヶ平、芝生迫、笠松平、高原高榮迫、陣ヶ平、陣ヶ迫、丸岡、境迫、小原大原美代原、久見木迫、大迫、陣ヶ尾、陣ヶ原、馬籠、岸ノ下内城西武田村大字田上編入された。

※この「鹿児島市との境界変更」の解説は、「西武田村」の解説の一部です。
「鹿児島市との境界変更」を含む「西武田村」の記事については、「西武田村」の概要を参照ください。

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