鹿児島城下としての大黒町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:20 UTC 版)
「大黒町 (鹿児島市)」の記事における「鹿児島城下としての大黒町」の解説
江戸期は鹿児島城下下町のうちであった。松原通町にかつて存在していた曹洞宗の寺院である南林寺の門前であったため、多くの市があり賑わったとされる。大黒町の町名は「天保城下絵図」に見え、東は海であったと記載されている。大黒町の起源について大道寺友山によって著された「落穂集」によると城下の用地が不足したため、前之浜(鹿児島城下付近の浜)に築地を設ける工事が元禄年間より行われていたが、工事が未完成ながら人が住み着いたため、大黒町として町を設置されたとされている。 また、町内には下町会所と火見櫓が置かれ、下町会所には町政の筆頭である三町惣年寄が任じられており、城下三町(上町・下町・西田町)の中心となっていた。 明治5年に鹿児島では初めてとなる郵便取扱所が大黒町内に設置された。この郵便取扱所は鹿児島に設置された官庁としては初めてのものであり、1875年(明治8年)には鹿児島郵便局となった。のちに山下町、武に移転しており、中央町にある鹿児島中央郵便局の前身にあたる。
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