鳥嶋和彦体制
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「週刊少年ジャンプ編集部」の記事における「鳥嶋和彦体制」の解説
鳥嶋体制において、その復活が図られることになる。それまでWJ編集部の編集長交代時には、前編集長より後輩が選ばれていた。鳥嶋は堀江の3年先輩であり、編集長が先輩に受け継がれた初めての事例であった。また鳥嶋は1993年(平成5年)にゲーム雑誌『Vジャンプ』を立ち上げ同誌の創刊編集長となっており、それまで『少年ジャンプ』編集部内での内部昇格が基本だった編集長の座に、ジャンプ系列誌とはいえ別雑誌の編集長が横滑りしてくるという点でも異例の人事だった。発行人は前任の編集長がそのまま昇格するのが慣例であったが、堀江が更迭されたためヤングジャンプに異動していた山路が就任した。 編集長に就任した鳥嶋が最初にやったことは、堀江から引き継いだ10件弱の新企画をすべて潰すことだったという。 1997年(平成9年)『ONE PIECE』、1999年(平成11年)『NARUTO -ナルト-』など、後の『WJ』の看板作品となる作品も鳥嶋体制で連載開始された。 1997年に元編集長で集英社を追われた西村が上梓した『さらば わが青春の『少年ジャンプ』』(文庫版)において当時の『WJ』編集部内の混乱を暴露し話題となる。 こうした改革はなされたが、部数の下落を食い止めることはできず、ついに『週刊少年マガジン』に発刊部数1位の座を明け渡すことになる。
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