鳥巣方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
鳥巣では、3月10日に薩軍がこの地の守備を始めてから4月15日に撤退するまでの間、征討軍との間に熾烈な争いが繰り広げられた。まず3月30日の明け方に近衛の2隊が二手に分かれて隈府に攻め入ってきた。始めは人数不足で不利な状況だった薩軍であったが、そのうち伊東隊による応援もあり、どうにか征討軍を敗退させることができた。 4月5日、第3旅団は鳥巣に攻撃をしかけ、薩軍の平野隊と神宮司隊が守備している真ん中に攻め入った。虚を衝かれた両隊はたちまち敗走した。これを聞いた薩軍の野村忍介は植木にいた隊を引き連れて鳥巣に向かい、挽回しようと奮戦するが、結局、この日一日では決着はつかず、7日に征討軍がこの地にいったん見切りをつけ、古閑を先に攻略しようとしたことにより、一時的に休戦状態になった。一方古閑では、平野隊・重久隊の必死の抗戦により征討軍はやむなく撤退してしまった。 薩軍は勇戦し、4月9日、再び隈府に攻め入った征討軍を撃退したが、弾丸・武器の不足によりこれ以上の戦闘を不可能と考え、赤星坂へ撤退した。10日から13日にかけて征討軍による鳥巣の再攻略が始まり、薩軍もこれに対して勇ましく応戦したが、いよいよ武器が尽きてしまった上に、鳥巣撤退命令が下されたため、この地をあとに大津に向かった。
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