鮎の道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:54 UTC 版)
「京都丹波高原国定公園」の記事における「鮎の道」の解説
桂川で獲れた鮎を洛中まで運んだ「鮎の道」 の顕彰が近年行われている。禁裏御領であった京北の山国郷からは毎年京都御所へ献上鮎が届けられた。この鮎は天日干しされた乾物であった。運搬ルートは鯖街道(鞍馬街道・雲ケ畑街道・小浜街道)と重複する。また、京都市井の人々向けは、日吉ダムによって水没した天若・世木で獲れたものを水を張った桶に入れ天秤棒で担ぎ活きたままで嵯峨鳥居本の鮎問屋まで運ばれ、ここから市中へと卸された。漁場を発つと概ね現在の国道477号線に沿って進み、国定公園域外となる南丹市八木町神吉を通り、越畑から愛宕山へ向かう道をたどり、清滝から嵯峨鳥居本へ抜けたほか、京北細野町から愛宕山へと至る愛宕裏参道も利用された。 一方で由良川では、美山町田歌で魚体に傷がつかない手づかみで獲ったものを園部藩の藩主に献上していた(鮎を探すための目印となる苔の食み跡を「道しるべ」と呼んだ)。また、北大路魯山人が由良川水系の和知川の鮎を最上級と評したことで、近代以降は多くの文化人に愛されたこともあり、その顕彰が始められている。 鮎の道でもある愛宕裏参道(京北細野町) 復刻した桂川の鮎の干物(京北町にて) 由良川での鮎の手づかみ漁(南丹市田歌) 和知川(京丹波町) 鮎のオブジェ(和知)
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