高島礼子抜擢の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 19:03 UTC 版)
高島礼子は1988年にとらばーゆのCMを見た松平健の目に留まり、東映京都撮影所に招かれ、25歳のとき『暴れん坊将軍III』の"御庭番"役で女優デビューした。その後、日本酒「黄桜」のCMを見た東映首脳が高島の着物姿に惚れ込み1999年、極妻の四代目ヒロインに抜擢されることになった。しかし歴代の主演女優に比べて、高島は当時30代半ばと若く不安視されたが、関本郁夫が「彼女に合わせて極妻の誕生編を撮ったらいい」と提案し、これが採用されピタッとハマった。高島は高校時代から仁侠映画のファンで、『緋牡丹博徒』の藤純子(富司純子)や、鶴田浩二に心酔し『仁義なき戦い』も研究していた。高島の起用は東映社内でも大きな賭けであったが大ヒットし、岡田社長も「この子はスターになる」と手放しで喜び、高島主演でシリーズ化が決定、高島は本シリーズを出世作とした。
※この「高島礼子抜擢の経緯」の解説は、「極道の妻たち」の解説の一部です。
「高島礼子抜擢の経緯」を含む「極道の妻たち」の記事については、「極道の妻たち」の概要を参照ください。
- 高島礼子抜擢の経緯のページへのリンク