高島秋帆告発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 02:33 UTC 版)
鳥居の縁戚にあたる伊沢政義が長崎奉行に就任し、鳥居の意を受けて高島秋帆たち長崎の地役人たちを捕えた際には、本庄たちによる讒訴を元に取り調べが行われた。 本庄の高島秋帆への恨みについては、三田尻の儒学者・荒瀬桑陽の『崎陽談叢』(防府史料第七輯、昭和38年)や、『天弘録』、『長崎犯科帳』の「福田源四郎」の項などに記録が残されている。本庄はかつて、鳥居耀蔵や水野采女などの権家に出入りし、その縁をもって長崎の地役人たちの身分昇進を取り計らおうと提案していた。しかし、高島秋帆に本庄の身持ちの悪さを理由に反対され、申し出が却下されてしまったことで、秋帆に恨みを抱いたとされる。 高島秋帆たちの取り調べが続く天保14年4月に、本庄は妻子を連れて長崎にいったん帰りたいと鳥居に願い出て、80日の休暇と、路銀として10両を貸し与えられた。しかし、本庄は他の家来たちと日ごろから折合いが悪く、二度と鳥居家に仕えさせないようにしてくれという希望が出されており、また事件を取り調べている最中に長崎出身の者を家来にしているのは都合が悪いため、そのまま解雇された。本庄は鳥居の家臣・永江弾右衛門から、貸し与えた金は返却しなくともよい代わりに永の暇を申し渡され、鳥居家に帰参する時節があるかもしれぬが、それまでは江戸に出府無用との手紙を渡された。
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