駐日外国人の疎開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 13:56 UTC 版)
1941年12月、日本政府は長野県の軽井沢、山梨県の山中湖、神奈川県の箱根を外国人の強制疎開地に指定、これらの土地にあった外国人所有の別荘は、敵産管理の法令により没収され、敵国人資産として競売にかけられた。1943年以降には、日本に滞在している枢軸国や非対戦各国の外交官や宣教師、一般外国人達が、日本政府が強制疎開地として指定した前述の地に集住させられる事となった。箱根には、約1500人の外国人が疎開、東京・横浜所在の大使館・公使館、領事館、商社などの多くがこの地区に移転した。同じく、枢軸国・中立国13ヶ国約300人の駐日外交官と千数百人あるいは2000人以上の一般外国人の疎開地となった軽井沢では、三笠ホテルに外務省軽井沢出張所が設置され、1943年には万平ホテルにソ連とトルコの大使館が疎開し、1944年8月には民間の貸別荘だった深山荘にスイスの公使館が置かれる事となった。
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