馬鹿殿様の治世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 21:31 UTC 版)
直員は、母里藩最悪の暗君として知られており、「驕奢淫逸」と評された。家督を継ぐと、年貢増徴を行なって領民を苦しめ、遂には領民が逃散するという有様となる。さらに藩内の富豪から御立金と称する強制借金を行ない、その返済期日である宝暦9年(1759年)8月4日に返済が不可能になると、家老の今村氏・前田氏らを切腹させて責任を取らせている。宝暦10年(1760年)には藩の施設を競売にかけた上、苗字帯刀の特権を金で売官するなど、その治世は目に余るものが多かった。しかもこれらで得た金銭は、自身の享楽に使われ、藩財政は悪化の一途をたどった。 このため、同族の出雲広瀬藩主・松平近朝の娘・輝姫との縁談が進められていたものの、近朝は直員のこのような素行を知って破談に持ち込んでいる。 明和2年(1765年)11月18日、家督を長男・直道に譲って隠居した。しかし隠居後に、かつて直員が寵愛した家臣の平山弾右衛門による母里騒動が起こり、さらに直員自身も次男・直行を擁立しようと直道の廃立を試みるなどして、藩政のさらなる混乱を招いた。 明和5年(1768年)4月14日に死去した。享年74。 表 話 編 歴 越前松平氏母里藩3代藩主 (1713年 - 1765年)松平隆政1666-1673 松平直丘1673-1712 松平直員1713-1765 松平直道1765-1767 松平直行1767-1792 松平直暠1792-1796 松平直方1796-1817 松平直興1817-1843 松平直温1843-1856 松平直哉1856-1871 廃藩置県
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