馬場貞子とは? わかりやすく解説

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馬場貞子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 17:32 UTC 版)

馬場 貞子(ばば ていこ、馬場 サダ子[1]とも表記、生年不詳 - 1913年5月1日[2])は、明治時代から大正時代にかけての人物。乃木希典の妻・乃木静子の姉である[3]

生涯

家系・生い立ち

貞子は、鹿児島藩侍医であった湯地定之(ゆち さだゆき)と、同じく鹿児島藩士・池田家の娘である母・貞子(さだこ、幼名:天伊)の間に生まれた[4][5]。生年は不明である。

家系には先に生まれた姉(長姉)が一人いたが夭折したため、貞子は次姉にあたり、実質的な長女として扱われた[5][6]。このため、夭折した姉が「馬場貞子」である、あるいは貞子自身が夭折したと誤解されることがあった。妹の静子は七人兄弟姉妹の末子(第七子)であった[5]

父・湯地定之は藩主に直言して勘気に触れ、減禄処分を受けたと伝わる。家計は「赤貧洗ふが如く」と形容されるほど困窮し、貞子も物心つくと妹のお六(後の柴テイ)と共に裁縫などをして家計を助けていたという[7]。一説には、母・天伊の近親である平山家が二人の幼子のみとなったため、その子らを育てるべく湯地家が一家で平山家に同居した時期があり、当時の湯地家の経済的困窮をうかがわせるともされる[2]

結婚

結婚後に「馬場」姓を名乗っていることから、馬場姓の人物と結婚したことは確かであるが、夫自身の名前や職業などの詳細は詳らかではない。乃木夫妻殉死(1912年9月)の報を聞いて駆けつけた際には、既に「未亡人」であったとされる[8]。長男として馬場惟夫がいたことが確認されている[2][9]

名前の読みが「ていこ」とされるのは、母・貞子(さだこ)と同じ漢字であるため、区別のためではないかと推測されている[10]

乃木夫妻との関係と晩年

妹の静子陸軍大将乃木希典に嫁いだ[11]。貞子は幼かった妹・静子のために「母のやうに情身を盡(つく)した」とされ、その労苦が偲ばれると記されている[2]

1912年(大正元年)9月13日、明治天皇大喪の礼当日の夜、乃木希典・静子夫妻は東京・赤坂の自邸で殉死した[12]。『讃岐乃木伝』によれば、貞子は妹・静子の落ち着いた様子に尋常ならざるものを感じ、もしや後を追うのではと心配して再度様子を見に戻ったところ、既に静子も自刃し息絶えた後だった[9]

妹・静子の殉死の翌年、1913年(大正2年)5月1日午前11時に長逝したとされる[2]。貞子は久しく病褥にあり、身体の自由を失い、晩年には疥癬を患っていたとされる[2]。亡くなる二、三日前から危篤状態となり、親戚らが集まる中での最期であった[2]。また、亡くなる間際まで妹・静子のことを気にかけていたという[8]

家族

  • 父 - 湯地定之(さだゆき):鹿児島藩侍医
  • 母 - 湯地貞子(さだこ):鹿児島藩士である池田家の娘で、結婚前の幼名は天伊(てい)。次女・三女の結婚後の名前に「てい」の読みがあるのは実母の幼名から採られている。
  • 長兄 - 湯地定基(さだもと):貴族院勅選議員根室縣(1843-1928)。
  • 次兄 - 湯地定廉(さだかど):海軍大尉
  • 末兄 - 湯地定監(さだのり):海軍機関中将、貴族院勅選議員。名は「ていかん」と読まれることが圧倒的に多いが、これは誤読である。通称もしくは音読みと考えられる。
  • 姉 - 名前不明:夭折。永らくの間は次女と同一人だとされていたため、名前も「馬場貞子」と思われていた。
  • 妹 - 乃木静子(湯地お七) 乃木希典の妻。1912年自刃。
  • 妹 - 湯地お六:結婚後に柴テイとなる(てい・てい子・テイ子などと表記する文献もある)。静子と最も歳が近いため、特に仲が良かったといわれる。
  • 甥 - 湯地孝国文学者。定監の子。
  • 大甥 - 湯地朝雄文芸評論家。孝の子。

注釈

  1. ^ 宿利重一『乃木静子』対胸舎、1926年(大正15年)、凡例。著者宿利重一が本書執筆にあたり、故人となる前の馬場サダ子(貞子)本人から聞き取りを行った旨が記されている。
  2. ^ a b c d e f g 冬湖・宿利重一『乃木静子 増補』春秋社、1937年(昭和12年)、p.94。
  3. ^ 乃木静子の出自や家族構成に関する記述は、関連人物の伝記等で確認できる。宿南保『乃木静子』春秋社、1993年。
  4. ^ 湯地家の出自や父・定之の職業については、鹿児島藩関連の史料や、兄弟(湯地定基湯地定監など)の経歴を示す資料で言及されている場合がある。『鹿児島県史料集』、『明治維新人名辞典』日本歴史学会編、吉川弘文館、1981年。
  5. ^ a b c 学習指導大系刊行会 編『高等小学学習指導書 第2巻 第一学年中巻』(学習指導大系)、帝国地方行政学会、1927-1928年(昭和2-3年)、p.34。
  6. ^ 宿南保『乃木静子』前掲書。
  7. ^ 陶山密『維新の女』淡海堂出版、1943年(昭和18年)、p.269。
  8. ^ a b 宿利重一『乃木静子』対胸舎、1926年(大正15年)、p.51。
  9. ^ a b 桃川若燕 口演、通俗教育研究会 編『讃岐乃木伝』下巻、文泉社出版部、1920年(大正9年)。
  10. ^ 同名の区別のための読み替えは慣習として存在した。ただし、貞子自身の読みに関する直接的な記録は確認されていない。
  11. ^ 大濱徹也『乃木希典』吉川弘文館、1988年。
  12. ^ 『東京朝日新聞』大正元年9月14日号。



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