馬場豊 (飛込選手)とは? わかりやすく解説

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馬場豊 (飛込選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 04:54 UTC 版)

馬場豊
選手情報
フルネーム 馬場豊
国籍 日本
泳法 飛込競技
所属 早稲田大学→天御津→国土計画
生年月日 (1933-11-30) 1933年11月30日(90歳)
1934年1月18日とも)
獲得メダル
男子 飛込競技
日本
アジア大会
1954 マニラ 3m板飛込み
1958 東京 3m板飛込み
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馬場 豊(ばば ゆたか、1933年11月30日[1] または 1934年1月18日[2] - )は、日本飛込競技選手、指導者。元飛び込み日本代表。

来歴

兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学水泳部に所属[3]、1953年から1955年まで日本学生選手権水泳競技大会の男子飛び板飛び込みで3連覇[4]マニラで行われた1954年アジア競技大会の同種目で銅メダルを獲得、1955年の日本選手権水泳競技大会でも同種目で優勝している[5]

早稲田大学理工学部卒業後は株式会社天御津に就職し、1956年の日本選手権水泳競技大会の3m飛び板飛び込みで2連覇を達成[5]1956年メルボルンオリンピックに出場するも、大会中、現地の五輪プールで練習中に負傷し[6]、高飛び込みで11位、板飛び込みで12位に終わり入賞を逃した。1957年の日本選手権水泳競技大会では、高飛び込みで馬淵良の4連覇を防いで優勝するが[7]、3m飛び板飛び込みではその馬淵に3連覇を防がれ準優勝となった[5][8]。翌1958年は3m飛び板飛び込みの優勝を奪回[5]東京で行われた1958年アジア競技大会では3m飛び板飛び込みで金メダルを獲得した。

引退後は1961年ユニバーシアードで飛込競技の全日本コーチとして[9]、のち国土計画に所属して日本代表のコーチとなり[10]、日本の飛込競技の強化に尽力した。

脚注

  1. ^ Yutaka BABA - Olympic Diving”. Olympic.org. 国際オリンピック委員会. 2018年3月2日閲覧。
  2. ^ 馬場豊”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月2日閲覧。
  3. ^ 早稲田大学水泳部の歴史 早稲田大学水泳部。
  4. ^ 男子飛板飛込歴代優勝者 日本水泳連盟公式ホームページ、日本学生選手権資料。
  5. ^ a b c d 歴代選手権獲得者 男子3m飛板飛込 日本水泳連盟公式ホームページ、日本選手権資料。
  6. ^ 産経新聞大阪版夕刊、1956年11月15日。
  7. ^ 歴代選手権獲得者 男子高飛込 日本水泳連盟公式ホームページ、日本選手権資料。
  8. ^ 記録(日本選手権水泳競技大会飛込競技) 早稲田大学水泳部、2018年3月2日閲覧。
  9. ^ 記録(ユニバーシアード) 早稲田大学水泳部、2018年3月2日閲覧。
  10. ^ 海外派遣遠征関係 機関誌『水泳』(日本水泳連盟)1962年8月号、3頁。

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