香港期
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1949年10月、中華人民共和国が成立すると、張其昀に招かれて、広州から英領香港に渡り、新亜書院(中国語版)(初期の名称は「亜洲文商学院」)の初代校長を1964年まで務める。 新亜書院は、九龍の雑居ビルにある小さな大学だったが、当時の香港において貴重な中国文化の教育の場となり、1963年には香港中文大学の一部となった。また、派生組織の新亜研究所(中国語版)や新亜中学(中国語版)も作られた。新亜書院での教え子(第一回卒業生・1952年卒)に余英時がいる。 1960年前後の香港には、唐君毅・牟宗三・徐復観(中国語版)もおり、新儒家の拠点になっていた。 銭穆は香港政府からも一目置かれ、1955年に香港大学の名誉博士を授与される。1956年には、後半生の伴侶となる教育学者の胡美琦と結婚する。1960年にはアメリカのイェール大学で講義し、同大学の名誉博士を授与される。1964年、新亜書院の校長を辞し、マレーシアのマラヤ大学で講義する。
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