首相指名と組閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 09:19 UTC 版)
「ヌル・ハッサン・フセイン」の記事における「首相指名と組閣」の解説
2004年10月14日、アブドゥラヒ・ユスフはソマリア暫定連邦政府が成立して初めての大統領となり、首相にアリー・ムハンマド・ゲーディを指名した。ところが10月29日にアリー・ムハンマドは大統領との対立を理由に首相を辞任する。首相はしばらく副首相のサリム・アリヨウ・イブロウが代行した。 2007年11月20日、ヌル・ハッサンはケニアのナイロビからソマリアのバイドアに到着し、11月22日、アブドゥラヒ・ユスフ大統領はヌル・ハッサンを首相に指名した。11月24日にはバイドアの暫定連邦議会に212投票中の212票を得て承認された。 ヌル・ハッサンは12月2日、閣僚として大臣31人、下級大臣11人、副大臣31人の合計73人を指名して「包括的内閣」と表現した。この大人数の組閣は批判を浴びたので、ヌル・ハッサンは「2004年の暫定連邦憲章(英語版)で要求された氏族比率の原則『4.5式』に則ったものだ」と主張した。しかし、ラハンウェイン氏族代表として選ばれたハサン・モハマド・ヌル・シャティガドゥド(英語版)ら4人は、事前に任命についての相談がなく、また、閣僚中のラハンウェイン氏族の比率が低すぎるとして、翌12月3日に辞退した。12月4日には宗教副大臣のシャイク・ジャマ・ハジ・フセインも、自身の属するジャレルウェイン支族への割り当てが少なすぎるとの理由で辞退した。 そこでヌル・ハッサンは閣僚名簿を全面的に見直し、12月17日に「内閣は大臣17人と副大臣5人で構成し、国会外の人間も参加させる」と表明した。そして2008年1月4日に大臣15人、副大臣5人を任命し、さらに3人を追加予定だとして、1月5日に宣誓を行った。議会は1月10日、賛成223、反対5、棄権2で内閣を承認した。
※この「首相指名と組閣」の解説は、「ヌル・ハッサン・フセイン」の解説の一部です。
「首相指名と組閣」を含む「ヌル・ハッサン・フセイン」の記事については、「ヌル・ハッサン・フセイン」の概要を参照ください。
- 首相指名と組閣のページへのリンク