首席バレエマスターとしての活動
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「マリウス・プティパ」の記事における「首席バレエマスターとしての活動」の解説
1869年、プティパは、フランスに帰ったサン=レオンの後任として首席バレエマスターに就任した。同年、プティパはモスクワの帝室劇場(現ボリショイ劇場)から依頼を受け、『ドン・キホーテ』を制作している。その後も精力的に作品を発表し、1877年には代表作の一つである『ラ・バヤデール』を成功させた。また、既存のバレエ作品の改訂も数多く手掛け、『ジゼル』や『コッペリア』などの改訂演出を発表した。 1886年、ペテルブルク帝室劇場の総裁にイワン・フセヴォロジスキー(英語版)が就任する。フセヴォロジスキーは劇場政策の責任者として様々な改革を行ったが、その一つが、一流の作曲家に作曲を委託してバレエ作品を上演することであった。フセヴォロジスキーはピョートル・チャイコフスキーに作曲を依頼し、1990年にプティパ振付によるバレエ『眠れる森の美女』を初演した。『眠れる森の美女』の成功を受けて、翌々年の1892年には、同じくチャイコフスキー作曲によるバレエ『くるみ割り人形』が制作された。プティパは『くるみ割り人形』の台本・振付を担当する予定であったが、初演の3ヶ月前に病に倒れたため、振付のみレフ・イワノフが代行した。さらに、1895年には、チャイコフスキーが初めて作曲したバレエ『白鳥の湖』(1877年初演)の蘇演が行われた。蘇演版の振付はプティパとイワノフが分担し、第1幕と第3幕はプティパ、第2幕と第4幕はイワノフが担当した。チャイコフスキーが作曲を手掛け、プティパが携わったこの3作品は、「三大バレエ」と呼ばれて現在まで広く親しまれている。
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